かわら版すごろくを体験! ~古文書勉強会へ潜入②~

 当センターのプロジェクトページをご覧いただきありがとうございます。名古屋大学減災連携研究センターの北川です。

 

 前々回の新着情報では当センターの古文書勉強会に潜入し、古文書の読み方について体験いたしました。今回は第二弾として、同勉強会が行っている啓発活動についてリポートします。

 

 下の写真は、「諸国大地震大津波末代噺」というかわら版です。安政東海・南海地震が発生した嘉永7年(1854年。後に改元して安政元年)」における、各地の状況が描かれています。

※公益社団法人全国市有物件災害共済会 防災専門図書館 所蔵・ご提供

 

 四角いマス目に絵が描いてありますが、実はこれ、「すごろく」なんです。

 

 それぞれのマスにどんなことが描かれているか、気になりますよね?同勉強会の主宰である、減災連携研究センターの平井助教に、いくつかのマス(黄色で囲った3マス)について解説をいただきました。

 

●五日夕方 諸方こんざつ

 五日とは、旧暦の嘉永7年11月5日のことであり、安政南海地震の発生日です。安政南海地震に関する史料では、共通して「申下刻(現代でいえば午後4時30分頃)」に地震が発生したと記されています。「こんざつ」は「混雑」ですが、これにはたくさんの人が集まって込み合うことの他に、物事が無秩序に錯綜する「混乱」に近い意味もあり、ここでは後者の意味に捉えるのが良いでしょう。

 本図は風呂屋で地震に驚き慌てる人々を描いたものです。番台の上には「八文」と書かれた布が下がっており、これが風呂銭の金額と考えられます。左上に「ふろせん」とあるのは、すごろくとしてはここでペナルティが発生するという意味です。

 

 

●大こくばし津波、亀井ばし、其外落橋

 安政南海地震に伴う津波では、大阪の道頓堀川にかかる大黒橋や木津川にかかる亀井橋などへ、津波の遡上によって流された船がぶつかり、多くの橋が崩落しました。

 

それらの被害をうけて建立された石碑「大地震両川口津浪記(だいじしんりょうかわぐちつなみき)」には、「地震の揺れを怖がった人々が船へ避難していたところ、大型の船が津波で流されて大黒橋へ横付けになり、そこへ複数の船が次々に乗り上がって山のようになった」という様子が、くずし字で刻まれています。さらに「安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、汐見、幸、住吉、金屋橋等ことごとく崩れ落ち」といった記述から、より詳しい被害の内容も知ることができます。

すごろくの本図は、この石碑に「いたま敷事限なし(痛ましき事限りなし:胸がつぶれるような思いで、とても言い表すことができない)」と描写される光景を描いたものでしょうか。

※この石碑には、犠牲者供養という建立の趣旨とともに、「宝永4年(1707年)の大地震・津波(宝永の南海トラフ地震)の様子を伝え聞いて知る人がまれとなったため、(数え年で)148年前の宝永時代と同じ場所で同じような大被害を、再び繰り返してしまった」という悔しさや、後年いずれ再び発生するであろう大地震の際の心得、これらの記録と教訓を後世へ継承する願いなどが記されています。当初木津川の渡し船の乗り場に、翌安政2年7月(1855年8~9月)に建てられましたが、大正4年(1915年)大正橋がかけられたことに伴い、橋の東詰北側に移設されました。いまなお、石碑に刻まれた願いにこたえて、地域の住民たちによって石碑の文字を墨汁でなぞって読みやすく保つとともに、毎年供養の法要が営まれています。

 

●清水・天王寺・玉造

 清水は大阪市天王寺区にある清水寺のことで、京都の清水寺を模して造られた寺院です。寛永17年(1640年)に中興されたと伝えられていますが、創建年などは判然としません。天王寺は同じく大阪市天王寺区にある四天王寺の通称です。日本書紀によると、推古天皇元年(593年)に聖徳太子によって創建されました。玉造は、現在に残る地名としては大阪市中央区玉造ですが、そこに位置する玉造稲荷神社のことと考えてよいでしょう。

 いずれも、大阪市東部に南北方向に横たわる上町台地に位置する寺社であり、大阪市中に高層建物のない時代には大阪湾に沈む夕日を一望できる景勝地でした。一般的に、台地上は地盤が固く、低地と比較して地震時の揺れが弱い傾向にあります。また、標高が高いため水害にも遭いにくい場所です。長い歴史を持つ寺社は台地上などの地盤の固い地域に位置することが多くみられます。

 しかしながら、本図に描かれた寺社の建物は、倒壊には至らないものの、いずれも傾いているように見えます。「さいせん これはたまらぬ」は、単なる双六としてのペナルティなのでしょうか、あるいは修復に多額の費用がかかることを示しているのでしょうか。

 

 

 いかがでしたか?

 「▲ふろせん」、「▲さいせん」のようにゲームを面白くする要素が含まれている一方、各地の被害の大きさを物語る絵図も多くみられます。また今回紹介はしませんでしたが、安政東海地震の被災地である「かけ川(掛川)」等における様子を描いたマスもあり、南海トラフという震源域の広大さを改めて認識させられます。当時の人々はこうしたものを見ることで、地震の規模や被害の大きさを知って驚いていたのでしょうね。

 

 古文書勉強会では、ことしの8月に名古屋大学減災館で開催された「夏休みスペシャル減災教室」にて、このすごろくを体験してもらうブース展示を行いました。

 

 

 お子様はもちろん、お父さん、お母さんも、熱心に取り組んでいらっしゃいました。「すごろくになっていると、当時の状況が良くわかる」「うちも地震の備えをしなくては」といったご感想もいただいております。

 

 

 今回の「昭和東南海地震」プロジェクトもまた、当時の被害状況や社会の様子を調査してわかりやすく発信し、これからの防災・減災の進展につなげていくものです。皆様のご支援の甲斐あり、目標の300万円を達成し、現在はNEXT GOAL挑戦中という状況になっています。ご支援をいただいた方々に、厚く御礼申し上げます。昭和東南海地震の記録と記憶を後世に残したいと、センター一丸となって活動をさせていただいております。

 皆様のあたたかい応援が、過去を解き明かす大きな力になります。新たにプロジェクトの趣旨に賛同いただける方は是非、ご支援を検討ください。また、周りの方々にも宣伝していただけますと大変ありがたく存じます。今後ともご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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