
支援総額
目標金額 5,000,000円
- 支援者
- 494人
- 募集終了日
- 2024年1月8日

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- 残り
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- 18,860,000円
- 寄付者
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- 残り
- 3日
プロジェクト本文
終了報告を読む
代理支援について
インターネットでのご支援が難しい方はこちら
第一目標金額達成のお礼とネクストゴールについて
皆さまの心温まるご支援のおかげで、第一目標の500万円に到達することができました!想いのこもった応援と励ましのお言葉の数々に感謝の念を禁じえません。
皆さまのご支援は真田庵修繕のための費用として大切に使わせていただきます。
このクラウドファンディングの開始当初よりページの中に、
「真田庵の土塀および本堂一部の修繕工事の見積金額は約1200万円ですが、原材料も高騰しており場合によってはそれ以上と言われております。第一目標は500万円とし、全て土塀と本堂の修繕工事に充てさせていただきます。第二目標としては1000万円を設定させていただきます。」
と書かせていただいておりました。
最初は不安も大きく、最低限の目標金額で設定いたしましたが、見積金額の1200万円にはまだまだ足りません。
プロジェクト終了まで、あと残り24日。
1000万円をネクストゴールに設定させていただきたく存じます。
すべて真田庵修繕費用に使わせていただきます。
具体的には
本堂庫裏修繕工事
1.既設他、蜜さん撤去処分
2.床(高さ250mm)、壁(梁下)新設工事
3.新設引き違いガラス障子入替2ヵ所
4.キッチン新設
5.外部波板トタン張替
6.その他電気、水道、ガス工事一式
物価の高騰等により、不足が出ることも予想されます。
1000万円という目標を再設定させていただき、真田庵修繕のために残りの期間も挑戦を続けます。
666人の皆様とともにゴールを切りたいと思います!
ネクストゴールの金額を達成できなかった場合は、ご支援いただいた資金で出来る範囲の修繕をおこないます。
最終日の1月8日23時まで!真田庵修繕の充実という次なる戦いのために、どうか変わらぬご支援と応援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
真田庵住職 渡部恵光
真田庵修繕プロジェクト事務局一同
(令和5年12月15日追記)
プロジェクトをご覧いただきありがとうございます。
真田ゆかりの和歌山県九度山町で、真田庵こと善名称院の住職をしております渡部恵光(わたべ・けいこう)と申します。
真田庵は、真田昌幸・幸村父子が1600年の関ヶ原の戦いの後、徳川家康の命令により蟄居させられ、家族とともに過ごした屋敷跡とされています。 境内には、昌幸公のお墓が残されています。
当時は、隠棲の身であったため葬儀をあげることも、お墓を作ることも許されませんでした。そのため、幸村公は屋敷内にあった松の木の下に父・昌幸公を埋葬しその魂を弔ったとされています。
大坂夏の陣での敗戦後、昌幸・幸村父子の屋敷は焼き払われてしまいましたが、126年後、大安上人によって屋敷跡にいまの真田庵が建立されました。
真田氏が主役になった1985年のNHK時代劇ドラマ「真田太平記」、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の時は、全国に名を轟かせた真田氏の人気ぶりに驚きました。
この真田庵の歴史と重みを感じさせられるとともに、決して絶やすことはできないという強い思いがこみあげてきます。
歴史ある真田庵の住職として、後世に遺すのはわたしの使命です。そんな思いで、少しずつ修繕を行いながら現在まで39年間大切に護ってまいりました。
しかし、今回ばかりはわたしどもの力だけではどうしても修繕費用を工面する目処がたちません。 修繕工事には膨大な費用がかかるため、所有者であるお寺の負担金をどうやって捻出するか悩みはつきませんでした。
このままではいけない!
何とかしなければ!!
と、思いながらも時間ばかりが過ぎていきます。
そこでこの度、この地域にとどまらず、全国各地のご賛同くださる皆様方と一緒に真田庵を護り後世へとつないでいくために、はじめてのクラウドファンディングに挑戦することを決意いたしました。
クラウドファンディングを通じて、ひとりでも多くの方々に真田庵の魅力を知っていただき、より広くご賛同下さる皆様方とともに真田庵を護っていきたいと思います。
奇しくも今年は、お大師さまがお生まれになって1250年の記念の年でもあります。
どうか皆様からの温かいご支援を、心よりお願い申し上げます。
和歌山県九度山町にある高野山真言宗の寺、真田庵は正式には善名称院(ぜんみょうしょういん)と言い、寛保元年(1741)に大安上人が、真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に地蔵菩薩を安置した一堂を創建したのが始まりとされています。
江戸時代後期の紀州に関する文献「紀伊国名所図絵」にある真田庵は、現在と大きく変わっていません。
真田昌幸・幸村の供養塔である宝篋印塔等は、「真田安房守昌幸墓地」として昭和55年(1980)に九度山町の町指定文化財となり、境内そのものも「真田屋敷」と呼ばれ「真田屋敷跡」の主要部分として昭和51年(1976)に和歌山県指定文化財に認定されています。
本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。
春には町の花であるボタンが咲き乱れ、紀州九度山真田まつりでは武者行列のゴール地点として賑わいをみせています。
紀州九度山真田まつりは、戦国の波乱に満ちた時代を生き抜いた真田昌幸・幸村父子を偲んで古くから開催されるおまつりです。
戦前からのおまつりで、5月7日の真田幸村の命日に開催されていたそうです。
現在は、5月4日・5日の2日間、開催され真田の市や武者行列などが行われ九度山町のもっとも大きい祭のひとつとなっています。
真田昌幸・幸村・大助を先頭に、真田幸村の活躍を陰で支えたことで有名な、猿飛佐助や霧隠才蔵をはじめとする真田十勇士などの武者行列が真田庵まで九度山のまちなかを練り歩きます。
真田庵では毎年5月5日に供養祭を続けてきました。
真田庵宝物資料館には、幸村が愛用したと伝えられる槍先や鎧兜などの武具や書状、肖像画などが数多く展示されています。
また、当時の真田家の生活を支えた真田紐や高野紙製造用具なども展示されています。
真田昌幸は1547年、真田幸隆の三男として生まれました。
幼い頃に武田氏に人質として送られ、成長後は武田信玄の側近として仕えます。
1575年の長篠の戦いで、信綱・昌輝二人の兄が討ち死にしたため真田家を継ぐことになり、子の信幸、幸村と共に真田郷に戻ったとされています。
1582年3月、武田氏が滅亡すると、その旧領は織田信長の支配となりますが、同年6月信長が本能寺の変により倒れたことから、信濃・上州は徳川・上杉・北条等諸大名の争奪の場となりました。
この間、昌幸はめまぐるしく従属する戦国武将を変え、1583年には徳川家康のもとで上田城を築城しました。
その後、上杉景勝につき従った昌幸は、神川合戦で徳川勢を敗退させ、1585年には豊臣秀吉に接近します。小田原攻めを経て、豊臣政権下で上田領を安堵されました。
1600年の関ヶ原の戦いには、二男幸村と共に豊臣方に属し、上田城にあって徳川秀忠軍の西上を阻止しています。
昌幸父子の奮闘にもかかわらず、関ヶ原の戦いは徳川方の勝利に終わりました。長男・信幸が徳川方に属した功と助命嘆願により、昌幸は高野山麓に配流され、所領であった上田領は信幸に与えられました。
二度も徳川の大軍を破った智勇の将は、1611年6月4日、高野山麓の九度山で65歳の生涯を閉じました。昌幸が自ら生前建立した位牌は現在蓮華定院の本堂に安置されています。
時は流れて1614年の大坂の陣の際には、幸村は嫡男・大助とともに14年暮らした九度山を後にします。豊臣方の武将として奮戦しますが、1615年5月7日、大坂夏の陣にて討死します。
徳川家康の本陣まで攻め込んだ活躍が江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「真田日本一の兵(さなだひのもといちのつわもの)」と称されます。
真田父子の生き様が、今なお多くの歴史ファンの心をつかんでいると言えるでしょう。
真田庵の本堂の向かい側には石の鳥居の奥に、真田昌幸・幸村・大助の三代の御霊を真田地主大権現として祀っています。
その後、稲荷大明神、金比羅大権現、天満宮、住吉大社も境内に加えて建てられました。
蟄居していた屋敷跡に建てられたと伝えられることから、境内にある五輪塔が真田昌幸の墓所とされています。
真田昌幸の墓所は真田庵の他に上田市の長谷寺、そして長野市松代町の松代藩真田家の菩提寺長国寺があります。
善名称院(真田庵)を建立した大安上人は、元禄7年(1694)奥久兵衛の子として九度山村に生まれました。 名を大安と言いますが13歳のとき、高野山西生院へ弟子入りして戒円と改めました。
日夜の厳しい勤めに励み、大師の教えを身につけ、19歳のとき京都へ出て修行に専念し、32歳から諸国の深山霊地をめぐって心を練り、40歳で九度山村に帰郷します。寛保元年(1741)8月18日、真田の旧跡へ地蔵尊を安置し、佉羅陀山善名称院としました。
そして「本尊地蔵菩薩のお守りによって、世の人々を救うことに生涯を捧げよう」と誓いをたて、「土砂加持」の信仰を強くもち、紀の川の清らかな砂を何度も清水にさらし、人々の災難や悪病除の御祈りをしました。
上人からこの土砂をいただくと、不思議に病気が治り、災難をよけられたので人々は父母のように上人を慕って集まってきたと伝えられています。
また、大安の活躍は朝廷や堂上方(公家衆)にも知られ、後桃園天皇は大安の加持土砂を毎朝御供養なされました。 明和4年(1767)には、随心院門跡権僧正見龍師から「上人号」を贈られました。
安永2年(1773)3月、如意宝蔵の落慶の法要を行い、その際嵯峨御所から菊の紋つきの提灯を奉納され、以後本院にこの紋を使う事が許されました。
同年5月に入定されましたが、境内の一隅に御廟を建て、弟子・信者は生きている時と同様に霊験も与えてくれたといわれています。
こうした歴史と、貴重な文化財の数々を守り続けてきた真田庵ですが、経年により破損劣化しており、再建から166年が経過した本堂においては抜本的な改修が必要となっています。
老朽化の影響だけでなく、近年の暴風雨被害による雨漏りや、冬には風雪の寒さに晒されています。土塀も含めて修繕を行わなければ、いずれ倒壊してしまうおそれがあります。
そこで、土塀工事と本堂の一部の修繕工事を計画しております。和歌山県の文化財のため大きく形を変えることは許されず、現在の形を保つという条件で修繕工事の許可が下りました。
九度山町の大切な観光資源である真田庵には、真田父子を慕って全国各地より訪ねて来られる観光客もおられます。安心してご参拝していただくためにも、この度は土塀修繕に重きを置きたいと思います。
本堂の建具は雨戸等がない為、経年劣化による汚れや痛みが激しく、風雪に晒されています。ガラスも薄く防犯面でも心配が残ります。この建具を現在の形を保ちながら新しい建具に替えたいと思います。
真田庵長屋門側の土塀の状態です。白い漆喰がはがれ落ちています。
真田庵西門側の土塀の状態です。
真田庵の東側の土塀の様子です。こちらは一部はがれが確認できます。
真田庵の土塀および本堂一部の修繕工事の見積金額は約1,200万円ですが、原材料も高騰しており場合によってはそれ以上と言われております。第一目標は500万円とし、全て土塀と本堂の修繕工事に充てさせていただきます。
第二目標としては1,000万円を設定させていただきます。
クラウドファンディング概要
■第一目標金額:500万円
■資金使途:真田庵土塀の修繕費用、クラウドファンディングの諸経費
■第二目標金額:1000万円
■■第二目標までの資金使途:真田庵本堂の一部の修繕費用
※本プロジェクトはAll or Nothing方式です。目標金額に1円でも満たなかった場合、ご支援者様に全額返金となります。
高野山蓮華定院 住職 添田隆昭様
蓮華定院は真田家の源流であります海野氏以来、信州小県、佐久郡の豪族達の宿坊でした。
真田庵善名称院は、関ヶ原の闘いの後、高野山に蟄居を命ぜられた真田昌幸、幸村親子が家族と共に暮らした仮寓の地と言われております。
幸村の当院宛ての手紙も、ここで書かれたものでありましょう。
当時の面影を末代まで伝えるために、皆様のご援助をお願い致します。
信州松代・小山田家様
我家は小山田茂誠(妻は真田昌幸の娘村松殿)を初代とし現在13代、14代目と信州松代で暮らしております。
真田庵は高野山へ蟄居となった真田昌幸、信繁が暮らしていたとされています。
蟄居中の二人が小山田家へ宛てた幾通の手紙が残っており、信州から九度山の二人を支え、家族互いに思いやる様子が伺えます。
真田家ゆかりの真田庵。
後世にその姿を残すためどうかご協力をお願い致します。
高野山成慶院 住職 あらた野光榮様
武田信玄ゆかりのお寺である成慶院の住職をしております「あらたの」と申します。
真田昌幸はもともと武田氏に仕えていた古くからのご縁がございます。以降、真田昌幸は様々な境遇を経て、高野山に蟄居を命ぜられた後、この真田庵善名称院の地で暮らしたとされております。
これまで真田庵を護寺されてきたことにも先人たちの相当なご苦労があったことと思います。
後世にこの古く良き形を伝えるためにもどうぞご支援よろしくお願いいたします。
直木賞作家 今村翔吾様
今、多くの歴史的価値あるものが消えようとしています。
これまで通り、行政、地域だけでは支えきれなくなっているのが現状です。
広義の意味での「ファン」の力も重要なのかもしれません。
私も真田ファンのひとりとして、真田庵の存続を望んでいます。
りら創造芸術高等学校 山上範子様
りら創造芸術高等学校の授業和太鼓で取り組んでいる演目「朱の忍び」は、戦国時代から江戸時代初期にかけ、真田軍の忍びとして活躍した横谷左近とその弟重氏の物語です。
関ケ原の戦い以後、真田家の家名を残すため兄弟で袂を分かつこととなった真田信之と真田幸村、そしてその両名にそれぞれ仕え大坂の陣で相まみえることとなった左近と重氏の、葛藤と覚悟を和太鼓の音とリズムのみで表現しています。
今回のプロジェクトを、真田家にご縁をいただいたことで応援していきたいと思っています。
- プロジェクト実行責任者:
- 渡部恵光(眞田庵善名称院)
- プロジェクト実施完了日:
- 2024年12月31日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
真田庵が、土塀及び本堂一部の修繕費用に充当いたします。
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プロフィール
真田昌幸・幸村父子雌伏の地、和歌山県九度山町にある高野山真言宗のお寺真田庵こと善名称院の住職をしております渡部恵光と申します。 1982年に高野山で得度を受け、1984年から真田庵の住職として現在まで39年間護ってまいりました。 お寺の静かで落ち着いた雰囲気が好きで、境内を掃除したり、お花に触れるひとときが私の一番心が落ち着く時間です。 歴史ある真田庵の住職として、後世に遺すのはわたしの使命です。クラウドファンディングを通じて、ひとりでも多くの方々に真田庵の魅力を知っていただき、より広くご賛同下さる皆様方とともに真田庵を護っていきたいと思います。 どうか皆様からの温かいご支援を、心よりお願い申し上げます。
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リターン
5,000円+システム利用料

A│全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 117
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
10,000円+システム利用料

B|全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 65
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
5,000円+システム利用料

A│全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 117
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
10,000円+システム利用料

B|全力応援コース【報恩感謝】
・感謝のお手紙を送らせていただきます
・長屋門入口にお名前を掲載(希望制)
- 申込数
- 65
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年3月
プロフィール
真田昌幸・幸村父子雌伏の地、和歌山県九度山町にある高野山真言宗のお寺真田庵こと善名称院の住職をしております渡部恵光と申します。 1982年に高野山で得度を受け、1984年から真田庵の住職として現在まで39年間護ってまいりました。 お寺の静かで落ち着いた雰囲気が好きで、境内を掃除したり、お花に触れるひとときが私の一番心が落ち着く時間です。 歴史ある真田庵の住職として、後世に遺すのはわたしの使命です。クラウドファンディングを通じて、ひとりでも多くの方々に真田庵の魅力を知っていただき、より広くご賛同下さる皆様方とともに真田庵を護っていきたいと思います。 どうか皆様からの温かいご支援を、心よりお願い申し上げます。