おかげさまで遺跡の発見に成功しました!!
こんにちは。
NPO南アジア遺跡探検調査会の岡村隆です。今夏、皆さまの温かいご支援を受けて実施することができた「スリランカ密林遺跡探査隊2018」(スリランカ政府考古局との合同隊)の隊長を務めました。いまスリランカにいて残務整理をしながら書いています。
おかげさまで、今回の活動は曲折を経ながらも大成功に終わり、私たちは曲折の末に8月18日、スリランカ南東部のジャングルにある目的地のタラグルヘラ山に到達、翌日にかけて山頂の仏塔跡や付近の岩窟寺院跡、密林中の建造物跡などを次々と発見したほか、23日にはマルワーリヤと呼ばれる孤立岩丘の岩陰(浅い洞窟)で先住民ウェッダ族の岩絵を発見するなど、多くの成果を上げて活動を終わらせ、コロンボに帰着することができました。
クラウドファンディングの募金に応じてくださった皆さまの温かいご支援や声援を受けて、ようやく実行できた今回の活動でしたが、無事に所期の目的を果たせて本当にホッとしているところです。皆さま、本当にありがとうございました。
自然保護のために厳格な立ち入り規制が敷かれている同国ヤラ地方のジャングルに入り、未知のタラグルヘラ山遺跡を探査するという今回の企画は、4年前に私が具体案を立案してスリランカ政府考古局に働きかけ、2年前に合同隊での入域には成功したものの遺跡発見には至らず、今年は再挑戦の形で実行したものでした。しかし入域直前までスリランカ自然保護局(野生動物局)と考古局間の折衝が難航し、結果的に日本隊では休暇期限のある社会人隊員3人(甕三郎、松山弥生、鈴木慎也)が入域を断念して帰国したほか、ポーターとして雇用予定だった村人たちも入域を拒否されたため、ベースキャンプと前進キャンプとの補給線が作れず、作戦の練り直しを迫られました。
(先に帰国した3人も、それ以前に区域外にある未調査遺跡4ヶ所を調査して成果を上げています)
結局は、ベースキャンプ設営後に1日の偵察を試み、あとはGPSを頼りに最低限の水と食料を持って1泊のビバーク(不時野営)形式でタラグルヘラ山に向かうという、賭けのような行動形態になり、それが前回とは違って見事に一発で成功したというのが正直なところです。 ただ、GPSがあるとはいっても、視界が全く閉ざされ、鉄条網がまとめて置かれたように有刺植物が繁茂するジャングルでは、直進はできず、かすかな獣道(ゾウの道)をたどりながら、腰をかがめ、ナタを振るってジグザグに進むありさまで、水も食料も不足したため、今年古希の私には結構きつい道中でした。若い学生隊員たちも猛暑と調査機材の重荷に加え、空腹や渇きに苦しんだのが実情でした。それでも成果があげられたのは、皆さまをはじめ、1973年の初調査以来、これまでの45年間、私たちの密林遺跡探検プロジェクトを応援してくださった方々のおかげだと思い、深く感謝しているところです。
発見したタラグルヘラ山遺跡は、百年以上前に英領セイロンのイギリス人測量隊が所在を確認して「1インチ=1マイル地図」に記載したものの、その後は探検も調査もされずにジャングルに埋もれていたものです。今回の発見で、頂上岩盤に仏塔跡の煉瓦片とともに残る刻文が、判読不能ながら「初期ブラーフミー文字」(古代インドの文字で、アジア各言語の文字の源流)であるところから、紀元前3世紀から紀元1世紀ごろの遺跡だとわかり、また頂上からは南に海も望めるため、古代の航海者にとっては白亜の仏塔が灯台の役割も果たしていたのではないかと推測されて、考古局のT.M.C.バンダーラ探査主任らは、「スリランカ考古局128年の歴史でも特筆される初探査の成果だ」と喜んでいました。
また、マルワーリヤの岩陰で発見したウェッダ族の岩絵は、これまでスリランカ国内で発見されている80ヶ所ほどの岩絵にはない意匠(ワニの絵か?)や、何らかの数を表すような文様があり、これも研究上重要なものになりそうです。
今回の探査では、周辺を含めて全11ヶ所の遺跡を発見・確認・調査して測量図や写真に収めることができました。また、ドローンによる空撮も行い、そのドローンをNPOから考古局に寄贈して操縦指導を行うというミッションも果たせました。それらについては、後日発刊の報告書にまとめるほか、NPOのホームページなどでも順次報告いたします。
私とともに探査に当たった学生たち(木村亮太、吾郷章次、中森あさひ、橋富啓嘉、石田康太朗)は、順次日本に帰国しています。今回、大活躍をした学生たちでしたが、皆さまのおかげで、報告書製作費を捻出できるほか、彼らの遠征費の自己負担分を軽減化することもできました。
それらすべてを含めて、皆さまのご厚意に感謝を申し上げたいと思います。今回のご支援、本当にありがとうございました。
2018年8月31日
岡村 隆