寄付総額
目標金額 1,500,000円
- 寄付者
- 127人
- 募集終了日
- 2020年6月12日
團伊玖磨《弦楽三重奏曲》
学友たちの作品④
中田喜直さん、畑中良輔さん、大中恩さんという順番で、戦没学生の学友たちをご紹介してきましたが、今回はその最終回として、團伊玖磨さんをご紹介します。
團さんは昭和17年、東京音楽学校入学で鬼頭恭一さん、村野弘二さんらと一緒に作曲部に入学した7人のうちの一人です。当時はすでに戦争の真っ最中でしたから、音楽の授業は減り、軍事教練などが頻繁に行われるようになっていました。團さんと同級生の大中恩さんは、昭和18年、軽井沢で行われた「学徒挺身隊」という軍事教練で上級生から殴られた時の思い出を、次のように語っておられます。
「僕(大中)はそこで管楽器の上級生に殴られた。そのとき「作曲科の奴ら生意気だ」という言葉が飛んできた。~(中略)~しかしそういう時に、團伊玖磨なんかは殴られなかった。彼は”やんごとなき家の生まれ”だったので、特別扱いされていたようだ。」(東京藝術大学音楽学部同声会報No.17)
その一方で、先輩の畑中良輔さんは、自著『音楽青年誕生物語』(音楽之友社)のなかで、團さんから「これを見てください」と自作歌曲の草稿を渡された時のことを次のように書いています。
「その風貌は単なる一音楽学生のそれではなく、ゆるぎない存在を示していた。この存在感がクラスの秋元清一たちには目障りだったらしく、夏の軽井沢での野外教練合宿のとき、團、芥川らを宿舎の脇へ呼びだし、「お前らの態度が大きい。生意気だ」と鉄拳制裁を加えたりしていた~(以下略)」
團さんが殴られたのか殴られなかったのか、定かではありませんが、作曲科の学生が上級生から「生意気」と思われ、中でも團さんは一目置かれる存在であったことだけは確かのようです。
以下、團さんのプロフィールと《弦楽三重奏曲》の曲目解説を、日本の現代音楽を研究している音楽評論家の西耕一さんに執筆をお願いしました。
◆團伊玖磨(1924~2001)プロフィール 音楽評論家 西耕一
歌劇《夕鶴》や《ぞうさん》《ラジオ体操第2》《花の街》など、幅広い作風で国民的な人気を誇る作曲家、團伊玖磨。その創作は6つの交響曲、7つのオペラを柱として、管弦楽、吹奏楽、合唱、器楽、歌曲、約120本に及ぶ映画音楽など満遍ない。音楽以外の分野にも広がる深い教養と鋭い視点は、テレビ、ラジオの出演や、名随筆『パイプのけむり』などの著作にも結実しており、様々な分野で人気を誇った。そのすべてで貫かれたのは、脈々と受け継がれた歴史・伝統の堅牢な土台に構築される本物の美、そして平和への願いであった。
1924(大正13)年4月7日、東京四谷の慶應病院で生まれた團伊玖磨。激動の時代に幼き日を過ごし、悲しき戦争への足音を意識しながら育った。小学校で満州事変、中学校で日中戦争、音楽学校で第二次世界大戦、終戦とともに卒業。青春は戦争と重なっている。
社会と自己の関係について考えるようになる発端は、小学校1年(7歳)に訪れる。毎朝、一緒に食事をしていた祖父・團琢磨が、血盟団事件で暗殺されたことからであった。大好きだった祖父がなぜ殺されなければならなかったのか、その疑問は、後の創作にもつながっていく。
美術史家であった父・團伊能の影響から歴史に興味を持ち、12歳で読んだ大田黒元雄の『西洋音楽史物語』によって作曲家になると決めて、15歳で山田耕筰と面会。山田の助言を受け東京音楽学校(後の藝大)へ進学、太平洋戦争の激化によって陸軍戸山学校軍楽隊へ配属され、小太鼓と編曲作業を担当して作曲家への道を歩んでいった。戦後にプロの作曲家として本格的な活動を開始した團伊玖磨にとって、それらの記憶は創作にも色濃く影響している。時代に翻弄された犠牲者たちを弔い、平和を祈念すること、荒廃した戦後の日本に復興と発展への希望を持たせること、それらを音楽で伝えることは必然的な帰結だ。
戦後間もない1947年、人々の心を照らしたラジオ歌謡《花の街》の美しいメロディー。オーケストラ作家として認められたのは1948年、広島「平和の鐘」建立記念コンクールへ応募した交響詩《平和来》だった。創作初期から戦後の日本における音楽の役割を考えた人でもあった。
戦後の作曲家としての強い意思を示したのが「行進曲」への取り組みである。戦争の象徴とされやすい行進曲から、軍隊行進曲の概念を払拭して、陽気にスキップするような音楽的な行進曲を作った。その代表例が皇太子殿下御成婚に寄せた《祝典行進曲》(1959)。軍靴の足音が聞こえるような曲ではなく、街頭を馬車で進む、幸せなパレードへ捧げた心弾む行進曲だった。この曲の初演にあたって旧式軍隊行進曲に慣れた当時の楽隊では演奏ができなかった。
やりきれない戦争を二度と起こしてはいけないという、強い意志からの創作はライフワークとなった。交響詩《ながさき》(1974)や交響曲第6番《HIROSHIMA》(1985)などでは、苦しく悲しい経験を経て、しかし、それでも希望を失わず、どんな苦境からも立ち上がり、平和な発展を作る人々を讃えた。オペラ《ひかりごけ》は極限状態の人間と戦争の愚かさを描き、《夕鶴》はお金に執着することの愚かさを歌っている。いずれも、長い歴史、伝統、社会の情勢を踏まえて、自分の信じる価値、信じる美を問うた。
戦後日本の記念碑的な事業で作曲を依頼されることも少なくなかった。1964年の東京オリンピック開会式の《オリンピック序曲》や、1970年大阪万博のための《合唱と管弦楽による日本新頌》(作詩:堀口大學)などは言うまでもなく、多くの作品で機会音楽としての効果だけでない、歴史・伝統・文化を踏まえ、自身の信じる美を展開した。
それらを経て、1997年には、オペラを創作の柱とする作曲家にとっての念願であった、新国立劇場の杮落としのために歌劇《TAKERU》に至る。ここには、がむしゃらに働く日本男児が自分をすり減らし、精魂尽きてしまうという暗喩もにじませている。この初演の稽古中に心筋梗塞で倒れ、生死の境を彷徨うことになったが、その後、快癒してゆく自身と重ね合わせたかのような行進曲《希望のあしおと》(1998)を仕上げ、36年に及んだ長期連載『パイプのけむり』を終わらせる。第7交響曲「邪宗門」の構想を立てていた2001年5月17日、旅行中の中国蘇州で帰らぬ人となった。
伝統・歴史を踏まえ、真の価値を見極めた創作を行った團伊玖磨が日本の音楽界に残した足跡は、今、改めて省みられる必要があるだろう。
◆團伊玖磨《絃楽三重奏曲イ短調》(1944)について
Ⅰ Allegro ma non troppo
Ⅱ Allegro
そのまま詩をつけて歌に出来そうな精妙たるメロディーの第1楽章、寮歌の如き質実剛健たる主題が耳に残る第2楽章。この曲は、團伊玖磨の器楽曲では現存する最古のものである。
團伊玖磨は、山田耕筰から東京音楽学校で学ぶことを助言され、1942年、東京音楽学校に入学。下聰皖一に和声学と対位法、橋本國彦に近代和声学と管弦楽法、細川碧に楽式論を学び、学外で山田耕筰に実作指導を受けた。
作曲部の同期は7人。そのうち2名が戦死、2名が病死している。ルソン島で戦死した村野弘二の才能については学生時代から注目していた。村野の歌劇《白狐》については、畑中良輔と共に学生時代からその価値を認め、村野亡き後も、折に触れ、その遺稿から《白狐》を完成させたいと語っていた。
《絃楽三重奏曲》は、村野と共に下聰皖一のレッスンを受けていた頃の「努力の結晶」と形容できる。この曲には1944年版(全2楽章)と1947年版(全3楽章)の存在が確認されているが、前者は楽譜が現存しており、後者は録音されたSP盤が残されている(楽譜は行方不明)。1944年版の初演は、同年6月10日の東京音楽学校報国団第150回演奏会(於奏楽堂)と推測される。
1947年版の楽譜は未だ見つかっていないが、残されたSPの音源と比較してみると、新しく3分ほどアンダンテの第2楽章を加え、1944年版よりも対位法的で複雑な処理が全体に施されている。受験前から師事し、團の指導教員であった下聰皖一の執拗なまでの指導と、その結果としての成長が2つの版から推し量ることができる。
どのように執拗な指導であったか?團伊玖磨によって伝えられる下聰のレッスンは、「恐ろしいほどに厳格」で、「気の遠くなるほどの量の和声、対位法、実作の課題」が宿題に出され、「徹夜を続けて」なんとかこなせるほどだった。その大量の課題に少しでもミスがあれば、五線紙を破いて窓から捨てられ拾いに行かされた。そして、一対一の授業なのに立たされ、10分以上睨みつけられることもあった。悔しく、泣きべそをかき、それでも耐えて課題に挑む日々。その努力の結晶としてこの《絃楽三重奏曲》がある。(西耕一)
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