戦没学生の音楽作品よ、甦れ!いま戦争の記憶を語り継ぐ

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寄付総額

2,112,000

目標金額 1,500,000円

寄付者
127人
募集終了日
2020年6月12日

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2020年06月04日 18:00

大中恩《幌馬車》《母》

学友たちの作品③

 今回の演奏会で取り上げる学友たちの作品、3回目は大中恩さんの2曲の歌曲です。大中恩さんは昭和17年の作曲の入学で、鬼頭恭一さん、村野弘二さん、そして團伊玖磨さんといった人たちが同期でした。

 大中さんには、2017年7月に開催された「戦没学生のメッセージ」プロジェクト第1回トークイン・コンサート「戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」で、戦争体験の証言者として、ご出演いただきました。その時は、東京美術学校の卒業生で戦没画学生慰霊美術館「無言館」の創設に奔走した洋画家の野見山暁治さんと共に、現役の学生たちとのトークを繰り広げました。

 本番が終了して何日か経った頃、「母校のステージに立って、すごく気分がよかった」とわざわざご本人からご連絡をいただきました。大中さんは2018年12月、残念ながら94歳でお亡くなりになりましたが、いまだにその言葉が忘れられません。

 

入学当時の大中恩さん(中林敦子氏提供)

 

◆大中恩(1924~2018)プロフィール

 大中恩さんは大正13(1924)年7月24日、東京・赤坂に生まれました。父は《椰子の実》の作曲家、大中寅二さんです。父親が家のすぐ近くの霊南坂教会のオルガニストであったことから、幼少のころから多くの讃美歌を聞いて育ちました。昭和17年、東京音楽学校に入学し、作曲を信時潔、管弦楽法を橋本國彦、対位法を細川碧の各先生に師事します。

 昭和19年9月、海軍予備学生として横須賀の海軍に入隊し、対潜水艦学校で潜水艦のスクリュー音を聞き分け敵か味方か判別するための訓練を受けます。戦時下において音楽教育の目的は、日本教育音楽協会の重鎮の作曲家・小松耕輔氏の「軍事においては、飛行機、潜水艦等の発達とともに、鋭敏なる聴覚の育成が絶対的に必要となり~(以下略)」(河口通朗著『音楽文化 戦時・戦後』社会評論社 P35)からも分かるように、軍事利用が謳われていました。

 結局、終戦まで敵の潜水艦が東京湾に侵入してくることはありませんでしたが、大中さんはその後、訓練を終え少尉に任官され、横浜の監視隊に配属されます。ここでは埠頭に停泊する駆逐艦に乗って、来襲する敵機の情報をいち早く知らせるという任務を担いました。こうして戦争で外地へ行くことはなく、終戦後学校に戻り、昭和20年9月に本科作曲部を繰上げ卒業しています。そして、初めて村野弘二さんと鬼頭恭一さんの二人の同級生が戦死したことを知ります。

 昭和30年、先輩の中田喜直さんからの誘いで作曲家グループ「ろばの会」に加わります。「ろばの会」は中田さんと作曲家の磯部俶さんが「いい詩にいい曲をつけ、子どもたちのために創ろう」という旗印の元に結成した作曲家グループで、メンバーは大中さんの他に、中田一次さん(中田喜直さんの兄)、宇賀神光利さんの計5名でした。そしてこの「ろばの会」は平成12年3月に解散するまで、45年の長きにわたって活動を続けました。

 大中さんは、生涯にわたって日本語の美しい語感を愛し作曲を続けました。その作品は《いぬのおまわりさん》《サッちゃん》など、誰もが知っているこどものうたから合唱曲、多くの声楽家の協力によって発表された歌曲までと2,500曲を下りません。

 また昭和32年には、自作のみを演奏する合唱団「コールMeg」(現在は「メグめぐコール」)を主宰し、アマチュア合唱の発展にも尽力しました。大中さんは最晩年まで、その「メグめぐコール」の演奏会で指揮をされたり、ご自身の「歌曲リサイタル」でトークをなさるなど、お元気にステージに立っていらっしゃいましたが、大変残念なことにご病気のため2018年12月3日、お亡くなりになりました。

 

2017年7月トークイン・コンサート出演時の大中さん(右)

 

◆歌曲《幌馬車》《母》について

 どちらも大中さんの学生時代に書かれた作品で、《幌馬車》は西條八十、《母》は高村民子さんの詩です。

 《幌馬車》は昭和19年の作曲で、2017年の「戦没学生のメッセージ」コンサートでも歌われました。その時、大中さんは「遺言のつもりで作曲した」とおっしゃっていました。西條八十の詩の冒頭は「見送れば 君が幌馬車 はろばろと 小さくなりゆく」というものですが、大中さんは去ってゆくのは友人でも恋人でもなく「自分自身」だと、語っておられました。 

 《幌馬車》より1年前に作曲された《母》は歌曲集《優しい四つのうた》の第1曲で、他は《花すみれ》(浜野ふじ子詩)、《月見草》(中野有子詩)、《子守唄》(高村喜美子詩)です。作詩者の高村民子さんは、《子守唄》の作詩者・詩人の高村喜美子さんのお姉さんで、霊南坂教会の友人で当時家も近所だったそうです。詩は「わが子が健やかに育ってほしい」という母の願いを、ストレートに表現しています。大中さんが海軍時代、横須賀の対潜水艦学校で披露したところ、仲間たちがみな涙したというエピソードが伝わっています。(大石泰)

 

昭和17年7月予科学生の本入学 前から2列目左から3番目が大中さん(中林敦子氏提供)

 

参考資料:澤野立次郎 「大中恩先生が語る東京音楽学校時代」(東京藝術大学音楽学部同声会報No.17 H.26.8)

 

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