(スタッフ打ち合わせ風景)

 

 

今日は尊厳死とは具体的にどういうことかをお話したいと思います。

 

プロジェクトページでも書いたように、尊厳死とは「不治かつ末期の病態になった時、自分の意思により無意味な延命治療を中止し、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」とされています。

 

長々と書かれていますが、行為だけを取り上げてみれば要は「延命措置を中止する」ことです。

 

では延命措置とは何でしょうか?

 

具体的には、水分・栄養補給、昇圧剤使用、心肺蘇生、人工呼吸器などがありますが、今回は延命措置について語る際には欠かせない「胃瘻(いろう)」を取り上げたいと思います。

 

胃瘻とは、腹部に穴を開けて管を通し、そこから胃に直接栄養を注入するものです。

 

本人が尊厳死を望む場合、この胃瘻措置についても行わないという事になります。

 

そうするとどうなるでしょう?栄養を投与しない訳です。

となれば当然生きていけません。死に至ります。

 

 

餓死です。

 

 

僕が周囲の方と話している中での所感ですが、「尊厳死」をまるで灯火が静かに消えていくかのように穏やかな死であるとイメージされている方が多いように感じます。確かにそれも間違いではありません。たくさんの機械や管につながれて、最期まで可能な限り命を長らえさせようとする延命措置と比べれば、それは穏やかに見えるかもしれません。

 

しかし、その本人を見届けている家族の心中は、必ずしも穏やかではないです。現に私たち家族がそうでした。祖父は、延命措置を施せばもうしばらく生きられたんです。でも本人がそれを望んでいない。本人の意思であるとはいえ、家族が痩せ細り、弱っていく様を何もしないで見ていて、心穏やかでなんていられる訳が無いでしょう。「本当にこれでいいのだろうか?」誰もがそう思っていました。

 

このように、「尊厳死」と聞くとまるで「桜の花が散っていく」かのごとく、美しい最期のように思われがちですが、そんなことはないんです。見届ける家族の心労は筆舌に尽くし難いものです。ですが、そのことはあまり知られていない。

 

本人がいくら尊厳死を望んでいても、いざという時に決断をするのは本人ではなく家族です。ですから、事前に家族と話し合って、家族の理解をしっかり得ておく必要があります。

 

 

本作では、「家族の理解をしっかり得ておく」ことを怠ったために、遺された家族達が母の尊厳死を受け入れるか否かで葛藤する様子を描きます。

 

本作を通じて、家族と事前に「どう死ぬか」について話し合っておく事の必要性を感じていただければ幸いです。

 

 

みなさま、引き続きご支援の程、よろしくお願い致します。

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