こんにちは、シャンティ国際ボランティア会の竹内です。

引き続き、ネパールの歴史についてお伝えしたいと思います。 

 

1923年にはネパールの歴史でも重要な条約をイギリスと結び、国際社会において独立した主権国家であることが認められました。

その頃、ラナ王朝は絶大な富と権力を有しました。

 

多くの人がこれに満足するはずがありません。

 

ラナ家が贅の限りを尽くしていた一方で、多くの国民は自給自足の生活をしていました。ラナ家への批判も高まり、1950年には暴動が起き、ラナ家は転覆し権力を失います。1951年にネパール国民会議(現NC)が中心となる政府が設立され、1959年には選挙も行われました。

 

 

1962年には憲法を制定しパンチャヤト制が導入されました。

この憲法の内容は国王がすべての権力を握るというもので、実際は立憲君主制というよりも絶対君主制でした。

政府の汚職や海外援助の私的流用等が大きく問題視されました。

 

 20世紀後半になると、市民が立ち上がりこれはおかしいと声を上げるようになります。民主化運動の始まりです。学生運動やガンジー思想の影響を受けた非暴力運動が行われました。そして、1990年に民主化運動が起き、パンチャヤト制がついに廃止されました。

ネパールの民主化は大きな犠牲の上に成り立っています。

 

 新しい民主的な新憲法も制定され、翌年には約32年ぶりの選挙により、コイララ政権が発足しました。1995年にマオイスト政党が発足、王政の廃止と世俗国家の実現に際しては武力闘争も辞さない構えを示し、1996年に武力闘争を開始しました。

 

 

長い10年間の内戦の始まりです。

この内戦の最中、2001年6月に王宮乱射事件が発生、ビネンドラ国王をはじめ王妃など王族10人が殺害されました。生き残った弟ギャネンドラが国王に即位、民主制に反対な国王はマオイストに対し非常事態宣言を発令し、戦闘は各地で行なわれました。

長い変遷の後、2006年に包括的和平合意が政府とマオイストの間で成立、内戦が終結しました。2008年に王政が廃止され、ネパールは共和国となりました。

 

そして2014年から発足したスシル・コイララ政権の時、2015年4月に先の大地震が発生しました。そしてこの地震に対応しているさなかの2015年9月に、2008年から続いた新憲法が制定、公布されました。

 

 このようにネパールはこの10年を見ただけでも大変な混乱と変遷を遂げている国だということが分かります。