プロジェクト概要

プロジェクトの終了が報告されました

おかげさまで本日(8月6日)、当初の目標金額、400,000円を無事達成することができました! 温かいご支援いただいた皆様に心より御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

 

期限前に40万円が集まったことで、鎌原観音堂和讃会の皆様が南三陸を往復するためのバス代は確保できました。しかし、現地での滞在・宿泊費、リターンのDVDの制作費などの費用は、若干不足している状況であるため、今回はネクストゴールとして500,000円を設定させていただきます。残り4日で、ハードルは高いのですが、引き続き共有・拡散・応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします!

 
230年以上、浅間山大噴火の災害伝承を続けてきた鎌原観音堂和讚会の皆さん。
南三陸町で開かれる「三陸海の盆2016」にお招きし、時空を超えた被災地間交流の実現を目指します! 

 

はじめまして、会津泉と申します。2011年東日本大震災の発生直後、自分が何もできない状況に歯噛みをしていました。そこで、阪神・淡路大震災での経験をもつ知人、東京の仕事仲間たちに呼びかけ、同年5月に「情報支援プロボノ・プラットフォーム(iSPP)」を設立し、現在もなお、被災者支援に少しでも役立つ情報通信技術(ICT)の活用の模索をしています。

 

とくに災害の教訓の記録・生きた伝承が重要と考え、今回、230年以上にわたって歌と念仏で教訓を伝承している群馬県嬬恋村・鎌原観音堂和讚会の皆さんを「三陸海の盆」にご招待し、東日本大震災の被災者と交流していただき、災害の貴重な教訓・生きた伝承を共有しようと考えました。

 

しかし、鎌原観音堂和讚会の皆さんを招待するための費用が足りていません・・・ これまで実現しなかった被災地間交流を実現するために、皆さまのお力をお借りできないでしょうか?

 

2015年の鎌原観音堂での233回忌法要

 

 

天明3年(1783年)8月5日、鎌原村(現在の群馬県嬬恋村鎌原区)を直撃した浅間山の大噴火。村の人口570名中、観音堂の石段を登って逃げた93名だけが奇跡的に助かりました。

 

2015年8月5日、たまたま訪れた群馬県嬬恋村で、天明3年、230年以上前の浅間山大噴火で大きな犠牲を出しながら、生き残った村人が寄り添い、復興を遂げ、今日まで供養と伝承を続けてこられた鎌原観音堂の皆さんと出会いました。

 その日は偶然にも233年前に浅間山が大噴火し、多数の村人が一瞬にして犠牲になった命日にあたり、生き残った直系子孫を中心に、233回忌の大法要が行なわれていました。

 

そこで聞こえてきたのが、お年寄りたちによって唄われる「和讃」でした。歌詞は以下のように、哀しみを強く訴えるものでした。

「夫に別れ子に別れ、あやめもわからぬ死出の旅、残りの人数九十三、

悲しみさけぶあわれさよ、観音堂にと集まりて、

七日七夜のその間呑まず食わずに泣きあかす」

「隣村有志の情けにて、妻なき人の妻となり、主なき人の主となり

 細き煙を営みて、泣く泣く月日は送れども、夜毎夜毎の泣き声は

 魂魄子の土に止まりて、子供は親を慕いしか、親は子故に迷いしか」

 

この噴火は日本史上最大の犠牲者を出した火山災害として知られ、鎌原村を埋め尽くした火砕・土石流は、さらに下って吾妻川を堰き止め、決壊し、計1500名もの死者が記録されています。

 なかでも鎌原村では村人570名中477名が犠牲となりながら、観音堂に逃げて奇跡的に助かった人々を中心に、93名が元の場所での復興・再建を果たし、今日に至っています。

 

鎌原観音堂(群馬県嬬恋村)。
この石段を登った人々は、​火砕流の直撃を免れ、かろうじて命が助かりました。

 

 

これだけの被害を出しながら復興を果たし、直系の子孫たちが200年以上も災害伝承を続けてきたのは、鎌原村が唯一と思われます。

 

辛うじて生き残った人々は、周囲の村々の支援を受け、妻を失った男と夫を失った女が再婚して家庭を築きなおし、全員平等を掲げ土地を均等に分けながら、埋もれた土地の上に仮普請の家を建て、力を合わせて再建・復興を進めてこられました。以来230年、子孫の人々は、毎年8月5日の命日には長野・善光寺の大僧正を招いて盛大に法要を行い、加えて毎月2回供養の集まり「念仏回り」を欠かさず続けています。

 

1979年に行われた学術調査・発掘では、埋もれていた観音堂石段の下部から折り重なった女性2遺体が白骨で発見され、広く報道されました。その観音堂には「厄除け」のご利益があるとして、全国から多数の人々が訪れるようになり、村の人たちは今でも毎日交代で当番を出して訪問客をもてなし、先祖を供養し、教訓を語りついでいます。

 

こうして各地からの支援を受けて再建を遂げた鎌原村の人々は、東日本大震災や熊本地震をはじめ、日本や世界の大災害の際には、いちはやく募金を送るなど、いまでも災害への深い関心と被災地への共感を強く持たれています。

 

観音堂への石段で火砕流に埋もれた女性二人の遺体を発掘。子孫の村人が説明しています。

 

 

東日本大震災の犠牲者を追悼し、悲劇を永遠に忘れないことを目的に
2011年より毎年開催されてきた郷土芸能大会「三陸海の盆」。

 

こうした鎌原村の取り組みは、東北被災地をはじめ、日本全国の防災・減災にかかわる人々が傾聴し、共有する価値はおおいにあると思います。今回のプロジェクトは、「三陸海の盆」に、鎌原観音堂和讚会の皆さんをお招きし、和讃を唄っていただき、時空を超えた被災地間交流を実現し、災害の貴重な教訓、生きた伝承を共有しようという趣旨で企画しました。

 

「三陸海の盆」は、東日本大震災で犠牲になった人々を偲び、地元郷土芸能の競演行事として毎年8月11日の月命日の前後に開催されてきました。

 第1回の岩手県大槌町から、釜石市、大船渡市、山田町と場所を変え、昨年は宮城県気仙沼市の唐桑で開催。三陸の郷土芸能は神楽、獅子舞、虎舞、鹿子踊りなど多種多様で、多くが数百年にわたって村々で伝承・保存されています。いまも老若一緒になって祭りで踊られており、震災後復興の精神的な支柱となってきました。

 

「三陸海の盆2016」について

 

開催日:2016年8月27日(土)

開催場所:宮城県南三陸町

内容:

①郷土芸能に触れられる

当日は朝から、三陸各地の郷土芸能が次々に演じられ、地元で被災された人々を中心に、犠牲者を偲び、復興への思いをあらたにしていきます。無形文化財の神楽をはじめ、貴重な郷土芸能を老若男女の皆さんが熱演されます。

②地域の交流の場

ステージの周囲では、海の幸の浜焼きや、焼きそばなどの軽食が供され、人々の交流の場になっています。

③全国の皆さんとの交流の場

運営はすべてボランティアで行われる、手作り感の強いイベントですが、東京や関西などからのゲスト出演があり、東日本大震災で支援に駆けつけたボランティアさんが駆けつけて地元の人と再会するなどのシーンも見られます。

 

2015年の三陸海の盆の1シーン(大槌町臼澤鹿子踊り)

 

 

「ぜひとも三陸にみんなで行って、供養の念仏を捧げたい」
時空を超えた被災者間交流で、復興の輪を広げたい!

 

平均年齢75歳を超える鎌原観音堂和讚会の皆さんは、「ぜひとも三陸にみんなで行って、供養の念仏を捧げたい」などと、交流を楽しみにいきいきと話されています。また、三陸海の盆の皆さんは、「230年以上も前の災害の教訓を語り続け、ご供養をされてきたとは信じられない。ぜひお迎えしてお話を聞きたい」と、交流を心待ちにしています。


自然災害はいつ、どこで発生するかわかりません。その経験を共有することで、いつか起こるかもしれない災害に対して十分に備えることができる経験の共有に繋がればと考えています。三陸の皆さんと嬬恋村の皆さんが直接出会うことによって、より普遍的な価値が発見され、広く共有されていくことが期待されます。

 

今回のプロジェクトを通して、時空を超えて被災地間交流を実現し、広く日本全体に災害の貴重な教訓、生きた伝承の重要性をアピールいたします。この貴重な災害文化の共有の実現に、ぜひともお力を貸してくださるよう、心よりお願いいたします。

 

皆さま、応援よろしくお願いいたします!

 

 

◇◆ 目標金額の使用用途 ◆◇

 

①貸切バス代 324,000円

②宿泊費補助 76,000円

計・・・40万円

 

 

◇◆ リターンのご紹介 ◆◇

 

1)「サンクスレター」と「鎌原観音堂 小冊子『祈り』」 

 

2)「鎌原観音堂・浅間大和讃 DVD映像記録集」と「ぼけ防止特製箸」のセット

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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