プロジェクトも4月13日で終了となります。残り9日。

目標達成まで、45万円となりました。

これまでの皆様のご支援に感謝いたしますとともに、あと9日で何としても目標が達成できるよう、頑張ります。

 

さて、メッセージリレーも7人目となりました。

今日は、このプロジェクトを支えてくださっているReadyforの担当キュレーター、徳永健人さんです。

 


徳永さんは、このプロジェクトの意義を良く考えて下さり、プロジェクトページの構成や広報活動等、様々な面でサポートをして下さっています。その理由に、ご自身のご経験があったことをプロジェクトを開始してから知りました。このSNSは、家族の方も登録できるようになっていますが、改めて、家族への支援の必要性について考えさせられました。
 

――――――――――

ページをご覧いただきましたありがとうございます。この度、西村様の挑戦をサポートさせていただいている、Readyforの徳永健人です。

 

この度、メッセージリレーの執筆の依頼を受け、私のこのプロジェクトへの想い、がん患者の母と過ごした経験をお話しさせていただきます。

 

――――――――――

私の母ががんの診断をされたのは、私が中学3年の2007年の秋のことです。私の母はそのとき41歳でした。まさか若い母が、がんになるとも夢にも思わず、母からそのことを告げられたとき、当時はまったくその実感がありませんでした。

 

 

「ごめんね。本当にごめんね。」

 

母はそのころ僕たち兄弟に、繰り返しそう言っていたのをよく覚えています。毎年、人間ドックで内視鏡検査はしていたのですが、胃カメラでは見きれない部分に、かなりがんが進行していたそうです。

 

 

別の病院でレントゲンを撮ると、胃の外側は真っ黒だったと聞かされました。


それから、胃を摘出して、数度の手術をしました。手術が終わる度に、母は「これでもう大丈夫だから。」と、子どもたちに伝え、安心させようとするのですが、母の容体はちっともよくなりませんでした。抗ガン剤の投与で、日に日に髪が薄くなり、身体がやせ細っていく母。

 

 

見るのも辛い状況で、私も母に何かできないか、どうすれば母の病気が治るのか、毎日そう考えていました。ですが、医療の知識があるわけでもないですし、私が母の病気を治すことなどできません。

 

 

母のためにしてあげられることはないか、と少しでも家庭のお金の足しになれば、と高校で取り組んでいた野球部の部活を辞めて新聞配達のアルバイトを始めようとしました。

 

そのことを母に告げると、母は私を怒りました。

「親がどうだからとか、お金がどうとか、そんなものは関係ない。」

「あなたが本当にやりたいことは新聞配達なの?」

「あなたが、いまやりたいことを一生懸命やりなさい。」

「それが私にとって一番の親孝行だから。」

 

母はその話をした後に、子どもが自分のせいで「部活を辞める」という選択をしようとしたことに対してまた「ごめんね。」と言いました。

 

なぜ母は私に謝るのか。「ごめんね」と言われて僕はなんと返事をすればいいのだろうか。その答えは未だに悩んでいるのですが、「親孝行をしたい」と考えた僕は、高校でも大好きな部活を続けることにしました。

 

部員数が1〜3年で70人近かったチームで、私はレギュラーではなかったのですが、部活に一生懸命に取り組んでいる私のことを母はいつも応援してくれていました。
 

 

その後、また転移が見つかり、何度も入退院を繰り返しました。

 

度重なる抗ガン剤の投与による治療、放射線治療、とにかく藁にもすがる思いで様々な治療をしました。その闘病生活は3年にも及びました。

 


最後、長期入院するようになると私は学校の帰りには家に帰らず病院に寄り、可能な限り母のそばにいるようにしました。

 

 
しかし、私が高校2年の11月に、母は他界しました。危篤状態になってから、モルヒネの投与を何度も繰り返し、相当つらかっただろうと思います。亡くなった時には、涙が枯れるくらい泣いたのを覚えています。

 


後日分かったことですが、母は祖母に対して「子どもたちが成長してくれて、大人になる姿を見れないのはつらいけど、幸せな人生だった」という言葉を残していたようです。


僕をはじめ妹・弟を含めた3人を一生懸命育ててくれた母。自分の母のことを言うのは変かもしれませんが、全力で駆け抜けた人生だったんじゃないかなと思います。

 

―――――――――――
それから私は、関東の大学に進学し、現職に至ります。

 

私が母にできる親孝行は、もう残されていませんが、「立派な大人になって、社会に還元していく」ということだと考えています。

 

「あそこのお子さんは、お母さまが若くで亡くなったから◯◯なのよ。」と後ろ指を差されることが、最大の親不孝だと感じ、自分のやりたいと思ったことには全力でその実現の方法を模索してきました。

 


大学時代も、実家からの仕送りが期待できない独立生計学生だったのですが、学費や生活費を稼ぎながら、自分が「やりたい」と思った途上国での国際協力ボランティア活動にも挑戦しました。サークルもゼミ活動にも目一杯取り組みました。大学院まで進学することもできました。


毎日、大変な生活ではありましたが、とても充実していました。辛くても頑張れたのは、母がいてくれたおかげだったと感じています。部活をやめる選択をしようとしたときに母に言われた言葉でもある「やりたいことを実現する」こと。それが多くの人にとってどんなに難しく、どんなに困難なことかは測りかねませんが、応援してくれる人が身近にいることで、人は頑張れる気がしています。

 

 

その経験は現職でもかなり役に立っています。

 

今私が働いているクラウドファンディングサービスを提供しているReadyforも、会社のビジョンは「誰もがやりたいことを実現できる社会をつくる」です。

 

 

 

「お金がないから、◯◯できない」それだけで人が夢を諦めてしまうのは、とても残念でつらいことでもあります。今度は僕がいろんな人を励まし、応援していくことで役に立ちたい、そう考えています。それが私自身、母にできる最大の親孝行だと考えています。

 

―――――――――――
私自身、この「キャンサーテラス」のサービスを知らず、今回初めて知ったので利用したことがないのですが、もしがん患者さんがいる家族の方とコミュニケーションが取れるのであれば、(もしくは、一般の家族の方に何かを伝えることができるのであれば)「セカンドオピニオン」を大事にしたほうが良いということを伝えたいです。

 

 

私の母が最初に検査に通っていた病院は、検査は内視鏡検査ばかりで、そこでがんの症状を確認できなかったためがんという診断をせず、胃薬を処方するのみでした。

 

今思えば、最初の早期発見さえできていれば母は助かったのかもしれません。しかし、それも「身近な家族ががんになるまで考えようともしないこと」でもあります。

SNSの力を使って、もっとこの活動が広がればと感じています。
 
残りの期間も僅かとはなりますが、がん患者とその家族に寄り添い、支えていく西村さんのこのサービスを私は心から応援しています。

 

目標金額を達成し、今後もこのサービスが続いていくことをお祈り申し上げます。

――――――――――

 

引き続き、皆様のご支援を宜しくお願いいたします。

新着情報一覧へ