お早うございます。松竹大谷図書館の武藤です。

 

本日の東京はお昼過ぎから雨になり、寒さも一段と増したような気がします。朝晩の冷え込みも厳しくなってまいりましたので、お風邪など召されませんよう皆様ご自愛くださいませ。


一昨日10月26日に無事プロジェクトが成立しまして、色々な方からお祝いのメッセージやコメントを頂戴いたしました。皆様が、松竹大谷図書館にそしてこの第5弾のプロジェクトに寄せて下さった、厚いご支援とお気持ちに、スタッフ一同心より感謝申し上げます。

 

現在、ご支援いただいた方へのお礼の準備を進めております。まずはサンクスメールを、お一人お一人へお送り致します。また、HPに掲載するお名前や台本カバーの作品のご希望をお伺いするメッセージもいずれお送りいたしますので、その折はぜひご返信をお願いいたします。

 

さて、当館では閲覧室内にあるショーケースでミニ展示を行っております(ミニ展示やショーケースに関するくわしいお話は、【第2弾】プロジェクトの2013年9月27日の新着情報をご覧下さい)。展示は二か月に一度テーマを変えておりますが、本日より新しい展示を始めましたので、お知らせいたします。

 

10・11月の歌舞伎座を皮切りに「中村橋之助改め八代目中村芝翫襲名披露・中村国生改め四代目中村橋之助 中村宗生改め三代目中村福之助 中村宜生改め四代目中村歌之助襲名披露公演」が全国で華やかに行われますが、今回の展示は、この八代目芝翫襲名を記念して、歴代の中村芝翫に関する展示「中村芝翫代々」展を行っております。

 

「中村芝翫」と聞くと、今回襲名した八代目の父、七代目中村芝翫を思い浮かべる方がほとんどではないでしょうか。七代目は、時代物・世話物と幅広い芸域を誇り、ことに舞踊の名手として知られた女方でした。そして、六代目の芝翫は、真女方として名舞台を数多く残した六代目中村歌右衛門です。昭和16年より昭和26年の10年間、六代目中村芝翫を名乗っています。そのため「芝翫」は、女方の名跡、という印象が強いかもしれません。ですが、歴代の芝翫を見てみますと、必ずしもそうではないことがわかります。

 

初代中村芝翫【安永7[1778]年生-天保9[1838]年没】は、三代目中村歌右衛門の俳名が由来です。初代歌右衛門の息子として大坂に生まれた三代目歌右衛門は芸域が広く、舞踊の名手でした。歌舞伎の演出にも優れ、現在に伝わる型を多く残しています。文化15[1818]年より文政2[1819]年の間の、三度目の江戸滞在中に限り、俳名の芝翫を名乗り、これが初代となります。帰坂後は再び歌右衛門を名乗りました。

二代目中村芝翫【寛政10[1798]年生-嘉永5[1852]年没】は、四代目中村歌右衛門の前名で、三代目歌右衛門の弟子にあたります。師である三代目歌右衛門の芸を受け継ぎ、立役から女方、舞踊に至るまで、幅広く活躍しました。

三代目中村芝翫【文化7[1810]年生-弘化4[1847]年没】は、三代目歌右衛門の養子です。上方で活躍しましたが、病により38歳で逝去しています。

四代目中村芝翫【文政13[1830]年生-明治32[1899]年没】は、四代目歌右衛門の養子です。大坂で生まれましたが、江戸へ下り、幕末から明治初期にかけて立役として活躍しました。「大芝翫」と讃えられた俳優です。

五代目中村芝翫【慶応元[1865]年生-昭和15[1940]年没】は、五代目中村歌右衛門の前名で、四代目中村芝翫の養子です。明治34年より明治44年の10年間、芝翫を名乗りました。明治後期より昭和初期に活躍した名女方ですが、養父の四代目中村芝翫の芸を引き継ぎ、立役としても優れた演技を見せました。

 

そして、六代目中村芝翫(六代目中村歌右衛門)、七代目中村芝翫、八代目中村芝翫と、「芝翫」の名跡は受け継がれていきます。

 

今回は、初代から八代目までの資料を展示しております。

このなかから、初代中村芝翫(三代目中村歌右衛門)に関する資料をご紹介します。

 

こちらの資料は、『芝翫帖』です。文化11[1814]年5月に発行された書物です。

表紙には鶴菱を連ねた模様が見えます。

 

この資料は『日英交流 大坂歌舞伎展 上方役者絵と都市文化』(大阪歴史博物館発行)によりますと「三代目中村歌右衛門の贔屓による歌右衛門を讃えた種々の小品を編纂したもの」で、三代目歌右衛門の二度目の江戸滞在を祝して出版された書物です。

この『芝翫帖』は大変古いため、ページを開いて展示することができず、閉じた状態で展示しているのですが、こちらの新着情報では、ページの中をお見せします。

こちらのページに描かれている鳥は、仮想の鳥「芝翫鳥」です。その内容は、芝翫(三代目歌右衛門)を鳥になぞらえ、「浪花の歌舞木(カブキ)」に生まれ、雛のころからすぐれていたが、のちに東(江戸)へ行き「大江戸八百八鳥(八百八丁)」の座頭となったこと、五年後、古巣の浪花に戻り、不思議な七色に変ずる毛(舞踊の七変化にかけてある)を生じたこと、「ひい木(贔屓)」が増えていったことなどを述べた戯文です。

 

また、同じく三代目中村歌右衛門の二度目の江戸滞在に関連した資料として、『芝翫栗毛』という書物があります。

二冊組になっており、こちらも『芝翫帖』とは違いますが、鶴菱を連ねた模様が描かれています。

 

こちらの資料は『歌舞伎文化の享受と展開 観客と劇場の内外』(神楽岡幼子著)によりますと「歌右衛門が江戸到着後、大坂の贔屓に宛てた書簡という形式」をとった、とされていますが、実際は作者である浜松歌国の「戯作と考えられる」資料とされています。

 

展示した資料以外にも、歴代の芝翫が出演したプログラム、台本、スチール写真、そして図書など、たくさんの資料を所蔵しておりますので、ご興味おありの方は、カウンターのスタッフまでご請求くださいませ。

 

今回の展示期間は、2016年10月28日より12月26日となっております。お近くにいらした折には、是非お立ち寄り下さい。

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