さてさて。

いま公表しているプロジェクトページは僕が伝えたいメッセージをギュッと凝縮したものです。

 

プロジェクトページだけでも十分なのですが、プロジェクトページ申請時に作成した文面があるので、そちらを転載します。もしよろしければご覧くださいませ。

 

※ビジョンやミッションについては申請時から変更されているので、ちょっと修正加筆しています。

 

こちらは自分の半生も交えて書いています。

5分程度で読み終わる短編小説だと思ってください。

 

では、参りますね。

 

1.自己紹介とプロジェクト概要
こんにちは。任意団体SEA-CLEAR代表の小山祐介(コヤ)と申します。

今まで主にワークショップ「You×You(遊×友)トーク」「生きるNight」をボランタリーベースで活動してきましたが、任意団体の活動を本業化し、その一環としてワークショップ「フィロソフィーダイアログ(※)~自分のために生きよう~」を新規に開始するため、プロジェクトを立ち上げました。

 

フィロソフィーダイアログとは【人生観の対話】を意味しています。自分の存在価値を認め、かつ、【対話】がその鍵になると体感してもらうことを目的としています。
 
「You×You(遊×友)トーク」
「表現することで人は心を震わせ、美しく豊かになれる」として、テーマにそってワントーク後、フィードバックとシェアを順次していきます。

《You×You(遊×友)トークの様子「門前仲町【おなかま】》

Facebookイベントページ参加人数及び興味あり数

※各回をクリックするとFacebookイベントページに画面が移ります

第1回 テーマ《自由》 参加人数:6名 興味あり:4名

第2回 テーマ《恋愛》 参加人数:10名 興味あり:2名

第3回 テーマ《生きる》 参加人数:5名 興味あり:17名

第4回 テーマ《感情》 参加人数:4名 興味あり:19名

第5回 テーマ《夢》 参加人数:6名 興味あり:12名

第6回 テーマ《愛》 参加人数:11名 興味あり:23名

《トークテーマの一例》

「生きるNight」
『表現することで、人は人でいられる』がコンセプトとして、当団体のビジョンとミッションに基づき、様々な観点から『生きる』を掘り下げ、たくさんの素敵な何かに触れていきます。

《生きるNightの様子「高田馬場【Re:s Cafe】」》

Facebookイベントページ参加人数及び興味あり数

※各回をクリックするとFacebookイベントページに画面が移ります

第1回 参加人数:7名 興味あり:34名

テーマ《あなたにとって生きるとは何ですか?》

第2回 参加人数:12名 興味あり:45名

テーマ《あなたにとって幸せとは何ですか?》

第3回 参加人数:4名 興味あり:34名

テーマ《16小節のLove Letter》

第4回 参加人数:5名 興味あり:46名

テーマ《この絵を描いた子どもに、どんな声をかけますか?》

※第4回では自分が小学校1年生の担任だと仮定し、ピンクの空を描いた児童にどんな声をかけるかを皆さんに尋ねました。義務教育の在り方について皆さんがどう考えているかお聞きしたかったのです。

《この絵を描いた子どもに、どんな声をかけますか?》

2.プロジェクト内容について

改めて申し上げると、今回のプロジェクトは任意団体の活動を本業化し、その一環としてワークショップ「フィロソフィーダイアログ(※)~自分のために生きよう~」を新規で開始するために立ち上げました。

フィロソフィーダイアログとは【人生観の対話】を意味しています。自分の存在価値を認め、かつ、【対話】がその鍵になると体感してもらうことを目的としています。

フィロソフィーダイアログはセミナーのようにスーツを着て受講する堅苦しいものではなく、アイスブレイクやヨガの瞑想を取り入れた一風変わった内容になっています。

《アイスブレイクの例「他己紹介」》
《ヨガ瞑想イメージ》

僕はファシリテーターを務めます。フィロソフィーダイアログの基本的な流れは以下の通りです。

 

①各参加者自己紹介
②アイスブレイク
③ダイアログワークショップ(あなたにとって生きるとは?シート利用など)
④ワントーク・オールフィードバック(参加者の発表を全員でフィードバック)
⑤チェックイン(フィロソフィーインタラキュター含め各参加者感想共有)
⑥交流タイム(名刺交換タイムなど)

 

フィロソフィーダイアログを通して伝えたいのは、

 

①どんな生物(人間)にとっても『生きる』とは神秘的、かつ奇蹟の連続で成り立っており、何をせずとも頑張っていること
②存在していること自体【だれか】や【なにか】に何らかの意味や影響をもたらしていること
③世のため・人のためではなく、まず自分のために生きることの大切さ

 

です。これらを少しでも多くの人に体感してもらいたいと思っています。

 

体感して得られることは、

 

①「自分はここにいていいんだ(生きていていいんだ)」という安心感
②自分を伝える(表現する)練習と日常生活に活かす機会
③対話できることから生まれる自己肯定感

 

であり、参加者同士のネットワークも生むことで、メンタルヘルス改善や自殺予防につなげていきます。

 

3.プロジェクトを立ち上げたきっかけ
◆ずっと両親の価値観に縛られていた過去◆
この写真は2年前の僕です。30歳のときですね。

埼玉の大宮で開催されている朝活「埼玉biz garden」で自分MAPを作成したときに撮りました。

《埼玉biz gardenで作成した自分MAP写真》

当時の僕は、書店でアルバイトをしながら小説家を目指していました。


話を少し遡りますね。


幼少期、父親の逆鱗に触れ、1時間正座させられて「くだらねぇ!情けねぇ!みっともねぇ!」と罵詈雑言を浴びせられ、1週間無視されたことがあります。その後、ある日父親に呼ばれ、告げられました。

 

「この1週間、俺はお前を自分の子どもではないと思って接してきた」
「お前は優しくて人をあたたかく見守るのが良いところなのに、なぜそれができない?」
「これからはもっと自分の良いところを活かしていきなさい」

 

僕は子どもながらに思いました。あぁ、自分はそういう子どもにならなければいけないんだなぁ、と。


この経験は、僕にとって強いトラウマでした。


それから、人の顔色をうかがいながら生き続けました。

親の価値観に合わせるのが正しいのだと思い込み、言う通りにしました。

 

「人間関係なんて上っ面。その場限りのものだから」

 

母親の言葉も信じました。その都度【自分】を作りました。小学校も、中学校も、高校も、大学も、社会人になってからも。人間関係などその場で切れてしまうのだと、冷めていました。


社会人になり、超過労働とパワハラが何ヶ月も続きました。
 

「お前は小学生以下だな!使えねぇ!頭悪ぃ!もう来んな!いらねぇから」


休日出勤を隠すため、打刻するなという指示のメールも送られてきました。


何もかもわからなくなり、24歳のとき、鬱を発症しました。


心療内科に行き、処方された薬を服用して、鉄球が括りつけられているぐらい重たい足を引きずりながら、出勤を続けました。家族に心療内科に通っていることを打ち明けました。

 

「何かあったときは相談しろ」

 

父親からの言葉でした。

 

しかし、3日連続で会社を欠勤したある日、父親は
「甘やかすとすぐこれだ!くだらねぇ!情けねぇ!みっともねぇ!」
とまくしたて、僕に吐き捨てました。
 
「お前は何からでも逃げる人間なんだよ」

激しい憎悪と殺意を抱きました。何度も何度も包丁で刺し殺す光景が頭に浮かびました。
でも殺す勇気もなく、休職して、逃げるように一人暮らしを始めました。
 
薬を服用しては横になる毎日。先の見えない毎日。
睡眠導入剤を服用しても、寝られない毎日。

 

毎日。毎日。毎日。
訪れる朝に怯える毎日。

 

お風呂に入る気力も、髭を剃る気力もなくなり、髪はぼさぼさ。
部屋を掃除する気力もなく、部屋は汚れていく一方。
食べては横になりを続けていたので、体重も20kgぐらい増えました。

 

さらに襲い始めたのが、猛烈な孤独感でした。
冷めた人間関係しか持っていなかったので、心をさらけ出せる友達がいなかったのです。

 

孤独の闇は凄まじいです。あっという間に心を蝕んでいきます。
孤独を紛らわすため、見もしないDVDを買い漁り、大学に行って後輩に会いに行き続け、大学や高校の友達に出かける誘いをかけまくり…しかし、人恋しさあまりに異常なほど近づいたため、人は離れていく一方。

 

離れていくのが肌で、実感でわかりました。
さらに孤独が深まり、心がすさんでいきました。

 

自分は独りぼっちだ。誰も相手にしてくれない。
自分が死んでも誰も悲しまない。誰も困らない。

 

死んでしまいたい。
死にたい。死にたいよ。
誰か僕を殺してくれ。

 

いつしか毎日、死を願うようになっていました。
 
そんなとき、誕生日(9月9日)に携帯電話が鳴りました。高校で同じ弓道部、3年間苦楽を共にした友達からでした。

 

「あっ、コヤ。今日誕生日だろ?おめでとう」

 

何気ない一言でした。でも、この何気ない一言がなかったら、僕はいまこの世にいません。

 

救われたんです。人に。
人間関係は上っ面だ、今まで冷めた関係でしかないと思っていた、人に。

 

僕はすがりつく思いで事情を全てを話しました。友達は嫌がることなく、全部聞いてくれました。

 

僕は、独りじゃない。独りじゃないんだ。

 

それからです。僕が人を、人とのご縁を大切にするようになったのは。

 

同時期、山崎ナオコーラさんの小説『長い終わりが始まる』にも出会いました。

《山崎ナオコーラさん「長い終わりが始まる」》

本書は、マンドリンオーケストラサークルに在籍する大学生4年生「小笠原」という女性を主人公とした青春小説です。

マンドリンはイタリアの弦楽器で、マイナーながらも、多くの大学で演奏されています。東京大学にもあるんですよ。

《マンドリンイメージ写真》

あと、都内大学のマンドリンサークルの殆どの人はイケガクというお店を知っています。マンドリンといえばイケガクイケガクでは落合マンドリンを主に取り扱っています。1台で何十万単位の楽器なんです。

実は僕も大学4年間、マンドリンオーケストラサークルに所属していたんです。だから、すごく親近感を持って読みました。

 

「すごい…こんなに狭い世界でも小説にできるんだ」

 

いてもたってもいられなくなり、僕はファンレターを書き、出版社に電話して、ポストに投函しました。

数日後、一通の封筒が自宅の郵便箱に入っていました。裏を見ると「山崎ナオコーラ」のサインが!

 

山崎ナオコーラさんが返事を書いてくれたんです!!

 

あまりの驚きと喜びに飛び上がってしまいました。

山崎ナオコーラさんからもらった手紙(封筒)》
山崎ナオコーラさん手紙文面》

返事をもらって、思ったんです。

 

何でもやってみなきゃわからない。
自分も書いてみたい。
小説を。小説を、書きたい。
小説家になりたい。

 

この小説が、この手紙が、山崎ナオコーラさんが、初めて僕に夢を持たせてくれたんです。小説家になりたい、と。
 

山崎ナオコーラさんからもらった手紙は、今も大切な宝物です。
 

それから小説を書き続け、原稿用紙200枚の長編小説『向日葵が咲く頃に』を書きあげました。


特に何か賞をもらったわけではないですが、自分にとっては大きな一歩でした。

いつか山崎ナオコーラさんに会って、直接お礼を伝えることが僕の夢でもあります。

《小説「向日葵が咲く頃に」1ページ目》

それから書店でアルバイトを続けながら、小説を書き続けていたのですが、28歳のとき、父親の機嫌を損ね、また「くだらねぇ!情けねぇ!みっともねぇ!」を連発されました。
 

僕は激しい怒りに駆られ、そのとき初めて父親に逆らいました。
 

父親の部屋のドアを拳で殴って壊し、

「俺はアンタの部下じゃねぇ!」

と怒鳴りました。

 

父親は一瞬驚いた表情を見せましたが、すぐにこちらを睨みつけ
「それはどういう意味だ?」

と凄味を効かせて胸倉を掴んできました。

 

僕も反射的に胸倉を掴み返し、押し倒した後、周りにいた母親と兄に引き離されて、30分ほど罵り合いました。

 

「アンタのこと殺したいと何度も思ったよ!」
「殺せるもんなら殺してみろ!病気の人間を雇う会社がどこにあるんだ!いつまで経っても薬飲み続けやがって!単なる薬漬けじゃないか!とっととやめろ!」

 

結局、上手く丸めこまれ
「お前が悪いんだよ、浅はかだったな」
の一言で罵り合いは終わりました。

 

翌日、小説家の夢を追わせてほしいと素直に頭を下げ、写真はしばらく経ってから撮影したものなんです。
まだこのときは、任意団体を立ちあげることも考えていませんでした。
 

◆一般企業とNPOで受けた衝撃◆
父親とは30歳になったら就職すると決めていたので、ある一般企業に就職しました。ですが、ここでも心がどんどん疲弊していきました。
 
社長直属の部署で、提携先に報告レポートを提出する業務に就いていたのですが、データ上、確実に判明していることの数値を変更しての提出を社長から直々に指示されました。

 

経営面と法律上、問題はないのですが、虚偽の報告をすることになります。

 

「自分は一般企業には勤められない。利益至上主義についていけない」
 
このときは、父親にも仕事の相談をするようになっていました。
喧嘩の一件から、距離が縮まったんです。このときはですけどね。
 
結果、一般企業を辞め、NPOに転職しました。

 

《NPOはフラットな関係を築け、活発に意見を交わせる土壌が整っている》

 

大学時代(専修大学)ゼミで研究をしていたからです。
大学時代は内山哲郎教授に大変お世話になっていました。
教務課で酷評された僕のレポートを読んで「君は良い!」と褒めてくださったんです。とても感謝しています。

《内山哲郎ゼミナール論文集》

しかし、このNPOでも事務局長から酷いパワハラを受けました。
 

「私の言っていることわかりますかぁ?」
「何回トイレ行ったら気が済むの?もう3回目だけど」
「20分も長電話して何やってんの!?電話代どれだけかけてんのよ!?」
「あなたのやっていることは単なる慇懃無礼よ。お礼を言われる筋合いなどないわ!」
「いちいち報告するためにそばに来たの!?時間の無駄!とっとと席戻って!」

 

「事務局長に逆らうときはクビになるときだよ」
 

先輩職員から忠告も受けました。
 

あるとき、広報誌で寄附いただいた企業のコラムを載せる理由を問われて、
「協働事業として企業との連携を強めるためです」
と答えたとき、

 

「バカじゃないの?何きれいごと言ってんのよ!」

 

鼻で笑われたことを今でも覚えています。
 
「NPOですらダメなのか。自分はもう組織に勤められないのかもしれない」
 
そこから、自分で理想とする組織を作るしかないと考え出し、任意団体の道を模索し始めました。

 

◆父親との関係悪化、歩み寄り◆

僕がまた心身を疲弊していたとき、朝早く目が覚めて、出勤するか欠勤するか迷っていたときのことでした。
この頃には、NPOを辞めることも話していました。

 

父親は何気なく言葉にしたんです。

 

「おおっ、今日出勤するのか!頑張ってな!」

 

正直、この「頑張ってな!」に凄まじく心が追い詰められました。
どうするか悩んでいるときに、せきたてられている感覚に襲われたからです。

 

うーん、と返事に窮していると
「なんだその態度は!?」
と逆鱗に触れました。

 

ひとまずその日は出勤し、後日改めて真面目に話す機会を設けました。
そのときに、正直に言葉にしたんです。
 
「僕にとって、あなたはトラウマです」
「幼少期の経験からずっと顔色をうかがって生きてきたんです」
「今朝、頑張ってと言われて心が追い詰められました」

 

本音をぶつけて向き合ってもらえると思ったら、そうはいきませんでした。

 

「頑張れと言われて追い詰められた?言ってる意味が分からない!もういい加減にしてくれ!」
「トラウマと口にしてる時点で、お前は何からでも逃げる人間なんだよ!もう親子の縁切るか!?それしか方法ないだろ!」
「本当に頭どうかしてるんじゃないか!?」

 

凄まじく追い詰められました。あまりに想定外の反応だったからです。
 

それでもなんとか、親子の縁は切らない、仕事の話はしない、で話を落ち着かせたのですが、翌日、凄まじい不安感と焦燥感に襲われました。
 

いのちの電話にずっと電話をかけ続け、病院に事情を説明して、不安を緩和させる筋肉注射を打ってもらいました。筋肉注射の痛みは今も覚えています。一か月以上消えませんでした。

《埼玉いのちの電話HP》

ただ、向こうも本音をぶつけてきた自分に言いすぎたと思ったらしく、このときは向こうからも歩みよってくれました。

 

……書き切れると思ったら書ききれませんでした。

続きは「プロジェクトページ申請時原文(その2)」をご覧ください。