8月27日記事の続きです。

時間が経ちすぎて申し訳ございません。

 

譲渡推進サポート事業を行うと発表した宮崎県。

その建物は、管理所の敷地内に建つ事が決まりました。

 

私は、毎日のように管理所に通いました。

夢が一つ一つ形になっていく物を、

目に焼き付いておきたいと思ったのです。

これまで以上に頑張ろう!頑張りたい!と思いました。

 

そして・・・

2008年8月1日「奇跡の母子犬」ひまわりをきっかけに

完成した譲渡施設「ひまわりの家」が、

無事、誕生したのです。

当時、私が理事として所属してた

NPO法人「動物のいのちを守る会」が、

「ひまわりの家」の委託事業に任命され、

私は、「ひまわりの家」の施設長になりました。

「管理所の隣に譲渡施設があれぱ…」

その願いも叶い、これから生かす方向で動けるんだと

希望を持っていました。

 

保護期限の切れた犬達が「ひまわりの家」に来るには、

譲渡適性検査「判定」を受けます。

人間と共存できそうだと、判定に合格した犬のみ

「ひまわりの家」に移動して、

新しい飼い主探しがスタート出来るのです。

 

 

「判定」に落ちた犬達は、

真っ直ぐガス室へと向かいます…。

 

 

保護できる頭数は限られているので、

仕方のない事だと思っていました。

いいえ、自分にそう言い聞かせていたのだと思います。

 

フェンス向こう側では、

毎週木曜日、判定に落ちた犬達が殺処分、焼却され、

煙突の先からユラユラと

熱で揺れ動いて見える雲を

ただ見上げる事しか出来ませんでした。

 

 

もしかしたら・・・

「ひまわりの家」が出来た事で、

私の役目は終わってたんじゃないか?

 

「ひまわりの家」の犬達は、

全国の皆さんから、想われ、愛されている。

 

私が「ひまわりの家」に居る意味を考えるようになりました。

 

 

私には、机なんか必要ない!

 

私がここから居なくなっても、

判定に合格して「ひまわりの家」に来た犬達には、

たくさんの方が手と心をかけて下さる…。

それなのに、フェンスの向こう側に居る犬達は…

誰にも思われずに、ひっそりと命を奪われているのです。

 

「ひまわりの家」を去ろう!

施設長を辞任して、組織からも抜ける決心をしました。

 

また一人きりの活動に戻る事は、

正直怖かったです。

でも、それ以上に、

判定に落ちた犬達と向き合いたい気持ちの方が

強かったのだと思います。

 

 

2009年9月1日。

職を失い、仲間を失い、

これまで積み上げて来た実績も、

組織に置いてきた私には、

何も残っていませんでした。

その名の通り「裸一貫」になったのです。

 

またゼロからのスタートでしたが、

「判定に落ちた犬達と向き合う」

自分の中で色んな計画を立て始めました。

 

 

 

・・・次に続きます。

 

 

 

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