プロジェクト概要

ドキュメンタリー映画で「聞こえなくても出来る!」ことを
みんなに知ってもらうために、映画制作と上映会を行いたい!

 

こんにちは。僕は都立大森高校3年の玉田宙です。僕は生まれつき耳が聞こえない『ろう者』です。『ろう者』とは、手話を母語とする耳が聞こえない人のことです。それは障害ではなく個性であって、僕はろう者としてのアイデンティティをもちながら、自分の夢を追いかけてきました。そして、ろう者にはムリだと言われた硬式野球に挑戦し、今年の高校野球東京予選で4回戦に進出することができました。

 

僕の次の夢は、「聞こえなくても出来る」ことを多くの人に知ってもらうことです。今回、フランスに住む映画監督・藤原亜希さんからの提案で、ドキュメンタリー映画を制作していただくことになり、僕と同じ境遇のフランス人ろう者、リザンドラさんに一人で会いに行きました。

 

皆さまの暖かいご支援のおかげで、フランスでの撮影費や編集費の一部を集めることができました。ありがとうございました。しかし、編集費全額と制作した映画の上映費をまかなうためには300万円が必要です。引き続きご支援をお願いします。

 

映画の制作費と上映費が合計で300万円必要です。一人でも多くの人に、ろう者のことを知ってもらうという僕の夢をどうか応援してください!

 

(手話ができない藤原監督とは筆談で打ち合せをします)

 


「耳が聞こえなくても硬式野球ができることを証明してみせる!」
夢を叶えるため、ろう学校高等部ではなく普通高校に進学することに…

 

僕が耳が聞こえないとわかったのは1歳9ヶ月頃。僕の両親は、日本の公立ろう学校の「聞こえる子に近づける訓練」よりも、ろう者の言語である日本手話と、日本語の読み書きで育てることに決めたそうです。

 

おかげで僕は、耳が聞こえない事を不自由と思った事はありません。生まれたときから耳が聞こえないので、聞こえない事が普通です。自分の母語は日本手話、聞こえる人とのコミュニケーションは日本語で筆談というのが僕の言葉です。

 

そんな僕は、2年前、大きな決断をしました。手話で学ぶ私立ろう学校「明晴学園中学部」を卒業後、聞こえる生徒が通う都立大森高校に進学することにしたのです。理由は、硬式野球をやるためです。日本のろう学校では「危険」という理由から硬式野球をやらせてもらえません。
 
ろう者の「仲間」と一緒に軟式野球をやるか?聞こえる人の学校で「夢」の硬式野球をやるか?僕は本当に悩みました。葛藤の末に選んだのは「夢」に向かって進むことでした。

 

 (當間君や仲間たちに支えられました)

 

 

「一人で投げるなよ、もっと仲間を見ろよ!」

 孤独だった僕は同級生の一言に救われました

 

高校入学当初は、仲間とのコミュニケーションに苦しみ、野球部を辞めようと思ったこともありました。その頃、ピッチャーだった僕は、部室でもグランドでもマウンドでもいつも一人でした。
 

そんなとき、同級生の當間君から「お前さ、一人で投げんなよ、もっと仲間を見ろよ」と言われたのです。当たり前の事だけど、苦しいときのあの言葉はすごく嬉しかったです。

 

僕はその後、ろう者には絶対にムリと言われているキャッチャーへの転身を希望しましたが、当時の監督はすぐには許してくれませんでした。それなら「みんなに認めてもらえるまで努力して、結果を出すしかない」と考えて、自由参加の朝練は毎日欠かさず参加し、昼休みも自主トレに励み、帰宅後は8キロのランニングで下半身を鍛えました。

 

(チェンジのときは、仲間とタッチをします)

 

また、仲間とのコミュニケーションは身ぶりやグラウンドの土を使った筆談を重ねて、徐々にチームに溶け込めるようになりました。そして、僕は正捕手になることができ、あの時に声をかけてくれた當間君がピッチャーになりバッテリーを組んで最後の夏の大会に挑みました。

 

  

(ピンチのときはマウンドに駆け寄って

「真ん中に!強気で行こう」と励まします)

 

夏の大会が終わって、両親から「2年半、よく頑張ったね」と言われました。でも、これは僕だけの力ではなく野球部の仲間や先生たちのおかげです。大森高校に入って、硬式野球をやって本当に良かったと、いま思っています。

 

(試合後は、応援に来てくれたろう者の幼馴染みと、

手話での立ち話が止まらなくなりました)

 

大会の結果はベスト32で止まってしまったけど、4回戦で強豪関東一高校と戦えたことは最高の思い出です。最後の打席は「絶対に見送らない!打って行く」と心に決めて思い切り振りました。三振だったけど満足です。

 

(監督の藤原さんとはじめて会ったときの筆談は、

A4用紙裏表×5枚です)


 

僕たちろう者の方が、耳が聞こえる人よりも

コミュニケーションに長けていることがあるんです

 

ある日、僕はフランスに住む日本人の映画監督・藤原亜希さんと出会いました。藤原さんは、音声言語に頼らない映画の表現方法を考えていたときに手話と出会い、手話の魅力を伝えるドキュメンタリー映画を制作したいと僕を訪ねてきてくれたのです。

 

ドキュメンタリー映画の内容は、2015年の夏に、僕が一人でフランスに行き、パリ郊外のポワティエという町に住む同じ年(17才)のろう者リザンドラさんを訪ねるというものです。リザンドラさんの両親は聞こえる人ですが、僕の両親と同じようにリザンドラさんを手話で育てました。

聞こえる人の中には、僕のようなろう者のことを誤解している人がたくさんいます。聞こえないのに一人で海外に行って大丈夫なのかと心配する人もいます。でも、日本人のろう者と外国人のろう者は、2,3日で会話ができるようになるんです。

 

手話は国によって違いますが、ろう者同士は同じような経験と文化(習慣)をもっているため、通じやすいのです。つまり、耳が聞こえてもフランス語が話せない日本人がフランスに渡航するより、僕たちろう者の方がコミュニケーションに長けている面があるということです。

 

(試合後、新聞記者の取材には筆談で答えました。

その様子を藤原監督が撮影しています)

 

 

「聞こえない人は、〇〇ができない人」という見方を覆したい

 

僕の体験が映画になることで、ろう者に対する見方が変わることを期待しています。ろう者は「聞こえる人よりできない人」ではなく、「聞こえる人にできない事で、ろう者にできることもある」、つまり同じなんだということをわかって欲しいと思います。

 

この映画によって、ろう者への理解が広がり、聞こえない子どもたちが誰でも夢に挑戦できるようになると嬉しいです。そんな僕の夢の一歩をどうか応援してください。よろしくお願いします。

    
   

(都立大森高校は10年ぶりに4回戦に進出しました

左:産経新聞/右:読売新聞より)



フランス取材の予定(8月):

1日:成田空港からフランスへ
2日:夕方到着(パリのブータン家へホームステイ)
3日:リザンドラと一緒にパリ散策(パリろう学校)
4日:リザンドラの友人&アレックス合流
  (モンマルトルの丘、ろう者による演劇場、ノートルダム寺院など)
5日:リザンドラが通っている高校訪問
6日:ポワティエへ移動:リザンドラの兄弟と合流
7日:ポワティエろう学校見学(映画「奇跡の人」の舞台)
8日:ブルターニュ地方散策
9日:リザンドラの友人宅訪問 
10日:パリへ移動(到着後お土産や記念品探し)
11日:フランス出発    
 


協力団体:

■NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター
http://www.bbed.org/
■NPO法人二枚目の名刺
http://nimaime.com/#&panel1-3
■NPOコミュニケーション支援機構
http://www.a-conweb.net/
■学校法人明晴学園
http://www.meiseigakuen.ed.jp/

(僕が会いに行くリザンドラ・ブータンさんです。

左は彼女のお兄さん)


引換券について

■ サンクスメール

■ 玉田宙から手話でのサンクスメッセージ
 
■ 映画のエンドロールにお名前記載

■ 玉田宙が選んだフランスのお土産1点

 

■ メイキング動画が見られるパスワードを発行します

■ 映画にも登場する玉田宙の母校・明晴学園の「音のない運動会」(5月予定)へご招待(交通費はご負担ください)

■ 玉田宙の成長と明晴学園設立秘話のエッセイ本「小指のおかあさん」(ポプラ社)

 

■ 映画にも登場する玉田宙の母校・明晴学園の「感動の学芸会」(11月予定)にご招待(交通費はご負担ください)

 

■ 試写会へのご招待(東京での開催/交通時はご負担ください)

■ 監督の藤原亜希さんがSkypeで直接この映画の解説をします(日程調整が必要です)

 

■  監督の藤原亜希さんがパリの街を半日ガイドします
(宿泊・交通費はご負担ください。日程調整が必要です)

 


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