プロジェクト概要

 

「満蒙開拓」とは

 

満州に駐留していた日本の陸軍部隊、関東軍による満州事変を経て1932年に日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」が建国されました。

 

当時の日本国内は世界恐慌のあおりを受け深刻な経済不況に陥り、特に農村経済を支えていた養蚕業は大打撃を受け、農家は借金を背負い、村や町といった自治体も負債を抱えていました。

 

1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となります。疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に推し進められましたが、背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。日本の戦況悪化、ソ連軍侵攻。結果として、約27万人の開拓団のうち約8万人がなくなったと言われています。

 

満州の大地

 

 

 

教科書では掲載されない歴史「満蒙開拓」を若い世代へ伝えるために。

 

皆さまこんにちは。満蒙開拓平和記念館(まんもうかいたくへいわきねんかん)と申します。長野県南部の阿智村にある山に囲まれた小さな村の小さな記念館です。かつての「満州国」に農業移民として渡っていった満蒙開拓団の歴史を伝える拠点として2013年4月にオープンしました。

 

「満蒙開拓ってなに?」という人が多くいらっしゃいます。そう、あまり知られていない歴史です。しかし、開館以来全国から約16万人の方が来てくださいました。開拓団関係者をはじめ、この歴史を学ぶ意義や当館の運営趣旨に共感してくださった人たちが輪を広げてくださっています。

 

この歴史を次の世代に伝えていくことがこれからの記念館の大きなテーマです。それは二度とこのような過ちを繰り返さない社会を創るため。平和な社会を創造する人を育てるためです。20万人以上が犠牲となった「満州」ですが、戦後はあまり語られず、教科書で学ぶことはほとんどありません。

 

今回、修学旅行など学校単位の受け入れを積極的に展開するため、セミナー棟を建設します。かかる費用は総額8,500万円。自己資金は3,000万円、それ以外はご寄附をお願いしてきました。当初は借り入れ覚悟で進めておりましたが、これまでに全国からのご寄附のほか行政からの補助金もいただけることとなり、目標額までもうひと頑張りというところまできました。

 

クラウドファンディングの挑戦でもっと多くの人たちにこの歴史と出会っていただき、仲間を広げたいと思います。どうか後押しをお願いいたします。

 

高社郷開拓団

 

 

満州へ渡った開拓団の悲しい末路

 

1945年8月9日、ソ連侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。戦力で圧倒的に勝っていたソ連軍に加え、日本の敗戦を知った現地の人たちも各地で暴動をおこし日本人を襲撃しました。

 

逃避行を余儀なくされた人々は、満州の広野でコーリャン畑に身を潜めながら歩きました。力尽きた母親が我が子を山に置いてきたり、川に流してきたり、手りゅう弾で殺してもらったという話もあります。また追い込まれた人々の壮絶な集団自決も多発しました。

 

水曲柳開拓団

 

敗戦国となった祖国日本からは何の援助もなく帰る手段もありません。難民となった開拓団の人々は収容所生活の中、寒さと栄養失調、疫病で大勢亡くなりました。子どもを中国の人に預けたり、売買もされたといいます。「中国残留孤児」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。背景には壮絶な歴史があったのです。

 

満州国へ渡った農業移民、満蒙開拓団は全国から約27万人。そのうち約8万人が犠牲になりました。中には青少年義勇軍として組織された少年たちもいました。

 

青少年義勇軍の少年たち

 

 

〜記念館の意義とは〜過去に目を向け現在に学びを。

 

「満蒙開拓」は国策として大々的に宣伝され推進されましたが、戦後はあまり語られてきませんでした。それは、あまりに壮絶な体験なのでご本人たちが語ろうとしなかった、地域の中には満州行きを進めた立場の人もいて責任を問われていた、開拓団が手に入れた土地の中にはもともと現地住民の農地だったものもあった、など様々な背景がありました。

 

戦後約70年、この風化しつつある歴史を伝え残そうと2013年に建設されたのが満蒙開拓平和記念館です。母体となったのは、中国帰国者支援事業を活動の柱としていた飯田日中友好協会でした。開拓団27万人のうちの実に3万3千人が長野県からで、さらに長野県の中でも南部の飯田下伊那地域がその4分の1を占めます。私たちの地域には中国帰国者関係の人たちもたくさん住んでいます。

 

毎年8月に開催する「鎮魂の夕べ」

 

記念館建設に向けて粘り強い運動をする中で行政からの補助金もいただき8年越しで建設にこぎつけました。開館後の反響は大きく、開拓団だった人や国策として送り出した側で責任を抱えて生きてきた人など様々な立場の人が来館してくださいました。

 

当館では開拓団の悲劇だけではなく、現地の人々にも犠牲を強いた加害の面にも向き合い考えます。日中双方に多くの犠牲を出した「満蒙開拓」とはいったい何だったのか。戦争に導かれていく道筋を学び、人々の体験に耳を傾け、平和な社会とは何かを皆さんと一緒に考えていきます。

 

現在のセミナールーム・「語り部」講演の様子

 

 

セミナー棟建設概要

 

現在のセミナールームでは40名しか入れません。修学旅行で一度に100人を超える場合などは時間をずらして来館いただいたり、団体の来館時間が重なる場合は映像視聴をお断りするなどご要望にお応えできない場合もあります。また、本記念館には年間約2万6千人の方が来館されますが、多くは60歳代以上の方で高校生以下は1割ほどにとどまっています。

 

この歴史をこれからは特に若い世代に伝えるため、修学旅行や平和学習でたくさん来てほしいと考えています。ほかでは学べない日本の戦争の歴史、特に中国をはじめアジアにつながるこの歴史と出会ってほしいと思います。

 

今回は、本館の隣に別棟として120人収容可能なセミナー棟を建設します。設計は本館と同じ設計士さんにお願いしています。セミナー棟では語り部さんのお話し、映像視聴、ワークショップや講演会、イベントなど幅広い学びを展開していく予定です。

 

記念館の外観

 

記念館中央廊下「光の回廊」

 

<建設スケジュール>

2019年4月初旬:着工予定

2019年9月末 :竣工予定

 

<資金使途>

セミナー棟建設事業費:計85,000,000円  

 

資金調達計画>

1:自己資金

2:全国からの一般寄附

3:行政からの補助金

4:クラウドファンディング

 

 

同じ過ちを繰り返さないために「平和の種まき」を。

 

「満州の様子は日本に伝わっていたのですか」

「満州にもともといた現地の人と仲良くする方法はなかったのですか」

「満州に渡った人たちがこんな目にあわないようにするには、どうしたら良かったのでしょうか」

 

このように中学生からの質問はとてもするどく本質をついてきます。子どもたちはその瑞々しい感性で、歴史から大切なことを学びとります。

 

満蒙開拓はとても複雑で向き合いにくい歴史であり、いわば「負の歴史」です。でもこの歴史を辿っていくと今に通じる課題がたくさん見えてきます。なぜ人々は「満州」へ行ったのか。なぜあのような犠牲が生まれてしまったのか。私たちは歴史を学ぶことで社会を見る力を養い、自分の頭で考えることの大切さを思い知り、人の痛みに寄り添うことができるのではないかと思います。

 

この歴史を通して、どのような社会を築いていくべきかを考えるきっかけにしてほしいと思います。「負の歴史」にフタをしない、なかったことにしてはならない。これからの日本が、世界が、同じ過ちを繰り返さないために多くの皆さんと次世代への「平和の種まき」をしていきたいと思います。

 

「平和の種まき」とは今は分からなくても、関心がなくても、将来何かのきっかけで思い出すことがあるかもしれない、何かに繋がるかもしれない、そんな願いを込めた学びのことです。この種がいつか芽を出し葉を広げ、花を咲かせる日がくることを願って。

 

未来に歴史をつなげることが私たちの役割です。

 

 


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