7月29日(日)の「戦没学生のメッセージ」コンサートに登場する作曲家を一人ずつご紹介するシリーズ、第2回は戦没学生の葛原守さんです。

 

葛原守(1922~1945)(葛原安子氏提供)

 

◆葛原守(1922~1945)

葛原守さんは大正11年10月22日、東京に生まれました。お父さんは童謡《夕日》(ギンギンギラギラ夕日がしずむ~)を作詩した童謡詩人で教育家の葛原しげるさんです。彼が子どもの頃、葛原家には父しげるさんの関係で多くの文化人が訪れ、そうした環境が守さんの興味を音楽の世界に誘ったようです。

 

葛原さんは府立第五中学校(現都立小石川中等教育学校)を卒業し、昭和15年、東京音楽学校予科に入学しました。従って草川宏さんとは同期ということもあり、親しい関係を結びました。そして翌昭和16年、本科器楽部ピアノ専攻に進学し、ピアノを豊増昇(1912~1975)に師事しました。

 

後に《夏の思い出》など、多くの名曲を作曲することになる中田喜直(1923~2000)さんも音楽学校時代の専攻はピアノで、葛原さんとは同門でした。今回のコンサートは、戦没学生の作曲作品を取り上げるものですが、彼は唯一、作曲以外の専攻の学生というわけです。

 

彼の専門はピアノでしたが、作曲にもおおいに興味を持っていたようで、自身で作品を書いては、橋本國彦など作曲の先生の指導を仰いでいたようです。本業のピアノもなかなかの腕前で、昭和17年11月、第142回報国団演奏会では、師の豊増先生の伴奏で、フランクの《交響的変奏曲》を演奏しました。「報国団」は戦時下にあって、国に忠誠を尽くして奉仕することを旨として、さまざまな職場や学校内に組織され、東京音楽学校も例外ではなかったわけです。

 

ピアノを弾く葛原さん(畑中良輔氏提供)

 

葛原さんは翌昭和18年9月、卒業演奏会でショパンの《幻想即興曲ヘ短調》を演奏し、繰上げ卒業となります。そして翌昭和19年3月に応召、フィリピンの部隊へ送られます。ところが現地で細菌性赤痢に感染し、台北の陸軍病院円山臨時分院に移送されました。

 

しかし病状は回復せず、昭和20年4月12日に亡くなり、本土へ戻ってくることはできませんでした。

 

「戦没学生のメッセージⅡ」の作曲家たち、次回は鬼頭恭一さんを取り上げる予定です。(大石泰)

 

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