皆様のおかげさまで、3日目に入り早々に支援額200万円超えました!100名を超える支援者の皆さま、本当にありがとうございます。

 

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このプロジェクトの概要は、告知動画などでお伝えした通りですが、本当に数々の運命のいたずらとも言える出会いの繰り返しでここまで辿り着きました。

 

今回は、その辺りのエピソードの幾つかをご紹介したいと思います。

 

2004年に戦車が英国に渡った頃には、SNSなども今の様に発達しておらず、その後の情報が全く入手出来ませんでした。

 

転機は2009年、オランダへ旅行に出かけた際にオランダ語通訳をして頂いたK女史との出会いでした。

 

 

オランダへはVWtyp166シュビムワーゲンという、第二次大戦中にドイツ軍が開発した水陸両用車の買い付けに出かけたのですが、現地での詰めの商談のために通訳会社を通じてスタッフ派遣を予約しておきました。

 

ところが、当日の朝になって予定したスタッフさんがインフルエンザと思われる高熱を発病、急遽ピンチヒッターで派遣さらたのが日本人でオランダ人のご主人を持つK女史でした。

 

標準的日本人の観光コースを無視して、映画「遠すぎた橋」のルートを辿りオーバールーン戦争博物館へ行ったり、シュビムワーゲン売り主とミリタリー談議で盛り上がったりしたところで、K女史が何気なく発した言葉に驚きました。

 

 

「この前参加した政府関連のパーティーで知り合った英国人が、日本の戦車を購入したって自慢してたけれど、小林さんとお話ししたら盛り上がるでしょうね」

 

一瞬呆然としましたが、正気に返って「その英国人はO氏ではないですか?」と問えば、「あら小林さんはやっぱりお知り合い?」との返事。

 

いえいえ面識はありませんが、かくかくしかじかで、トンビに油揚げ状態だったこと(詳しくはこちらの記事、2004年の部分をご覧ください)を説明すると、O氏に連絡しメールアドレスを調べて自分に教えて下さったのです。

 

そんな偶然から2009年に初めてO氏とEメールで戦車返却について交渉を持ったのですが、当初の返事はもちろんNG

 

その代わりと言ってはなんですが、当時部品収集のために世界各地の戦車愛好家や戦車博物館と連絡を取って飛び回っている様子をたびたびメールでお知らせくださいました。

 

その過程で、「ミクロネシア連邦ポンペイ島に遺された戦車達については交渉の余地がある。欧米人は門前払いだったが、あなたがた日本人が行けば状況は違うだろう」と情報をもらったのです。

 

 

そしてポンペイ島について調査を始め、2014年と15年に2回に渡り返還交渉に訪れたのですが、結局交渉は暗礁に乗り上げました。

 

だからこそ、今回のプロジェクトが重要な意味を持つのです。

 

私たちがO氏から戦車を買い戻すことで、ポンペイ島の人々にも私達の本気度と熱意や誠意が伝われば、さらにその先に一筋の光が差し込むのではないか?そのように自分には思えるのです。

 

実行者:小林 雅彦

 

 

《その後の、ポナペ島での返還交渉にまつわる記事》

 

ポナペ島は、今回買い取り予定の九五式が終戦を迎えた場所です。この島には、他にも多くの九五式車両、その他、旧日本軍の戦車が残っています。

 

当初は私たちも、ポナペに眠る車両を日本に持って帰ることができないか……と交渉を続けていました。

 

その経緯や、親日の南洋島・ポナペの魅力をお伝えすべく、主に土曜日に、ポナペ島関連記事を綴っています。

 

そもそも:ポナペ島との出会い

 

ポナペに残る九五式軽戦車ーー持ち主のアダムス家の思い

 

ポナペに残る九五式の姿

 

 ●ポナペ島には九五式軽戦車が何台あるのでしょうか?

 

二度目の、アダムス家との買い取り交渉

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