ジョン万次郎の資料調査・保存プロジェクト|日米交流の原点を後世へ

ジョン万次郎の資料調査・保存プロジェクト|日米交流の原点を後世へ

支援総額

3,153,000

目標金額 3,000,000円

支援者
90人
募集終了日
2023年9月29日

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プロジェクト本文

第一目標達成のお礼と今後のご支援について(2023年9月29日追記)

先程300万円を達成することができました!ここまでご支援くださった方、応援くださった方、本当にありがとうございます。

 

途中厳しい進捗が続きましたが、その度に皆さまからお寄せいただく調査への期待などのお声が励みになってきました。改めて感謝申し上げます。

 

目標金額としていた300万円は達成しましたが、万次郎の資料調査保存等の費用には多額な費用がかかるため、いただいたご支援は引き続き資料調査保存のために、大切に使わせていただきます。

 

資料保存調査の完了後は、それらのデータベース化、特別展の開催など、より多くの皆さまに万次郎の貴重な資料を公開していきながら、2027年の万次郎生誕200周年に向けて事業を進めていきます。

 

本クラウドファンディングは残り時間があと少しとなってきましたが、最後まで応援をよろしくお願いいたします。

 

 

English page

歴代の中濱家に受け継がれてきた資料群の状態が悪化し、このままでは貴重な資料群の継承が危ぶまれます。2027年の万次郎生誕200周年に向けた資料調査・保存へ、ご支援を。

 

1841年、当時14歳だったジョン万次郎こと中濱万次郎は、漁に出て嵐にあい、無人島の鳥島で仲間4人とサバイバル生活をおくっていたところを、捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されます。その船長がウィリアム・ホイットフィールドであり、以降中濱家とホイットフィールド家は代々友情を紡いできました。

 

私たち「万次郎資料調査団」は、そんな両家と関わりあって、万次郎が日本の近代化に果たした貢献を顕彰する活動を行ってきました。

 

歴代の中濱家に受け継がれてきた貴重な資料群は、万次郎の逝去から125年が経過した現在、一部資料の状態が悪化しています。そこで今回、資料群の調査と長期保存に適した環境下での保管管理を進めることにいたしました。

 

しかし、それらを実施するには多額の費用が必要になり、また、私たちはボランティアグループとして従事しています。そこで今回、万次郎の資料調査のための旅費や保管用の専用梱包資材費等を募るために、クラウドファンディングに挑戦することを決意いたしました。

 

今回の調査は、2027年の万次郎生誕200周年に向けた事業の第一歩です。今後は、ホイットフィールド家の資料調査や、それら資料のデータベース化、特別展の開催、図録の出版、デジタル・アーカイブとして広く公開することなどを目指しています。

 

日米交流の原点となる資料を後世へつなぐために、温かいご支援をよろしくお願いいたします。

 

晩年の万次郎

 

 

はじめに

 

はじめまして。私たちは、「万次郎資料調査団(Manjiro Curatorial Research Group)」のメンバーです。この団体は、ジョン万次郎こと中濱万次郎の資料調査のために結成したボランティアグループです。


万次郎は14歳で漁に出て嵐にあい、無人島の鳥島で仲間4人とサバイバル生活をおくっていたところを、捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されます。

 

その船長がウィリアム・ホイットフィールドでした。中濱家とホイットフィールド家は、二人の出会いの時から180年以上にわたって、代々友情を紡いできました。

 

そんな両家と、私たちは幸運にもそれぞれ関わりあって、万次郎の数奇な経験から学び、彼が日本の近代化に果たした貢献を顕彰する活動を行ってきました。

 

 

歴代の中濱家によるジョン万次郎に関する出版物の数々

 

万次郎は文政10年(1827)生まれ。亡くなったのは明治31年(1898)、享年71歳でした。

 

彼の長男・東一郎(とういちろう)氏は東京大学医学部を卒業した高名な医者で、森鴎外や北里柴三郎とは同期。共にヨーロッパ留学もしています。

 

彼は父・万次郎が遺した品々を大事に保存しただけでなく、万次郎に関わる古文書、書籍類も数々収集し、昭和11年(1936)に『中濱萬次郎傳』を著しました。これは補遺も合わせれば500頁を超える大著でした。


東一郎氏の次男(長男は若くして死去)の清氏はアメリカのフェアヘイブンに近いブラウン大学に留学して実業家になりました。父の残した資料とホイットフィールド家との絆を大切に守り、『中濱東一郎日記』を編集しています。

 

また清氏の弟である明氏は、昭和45年(1970)に『中濱万次郎の生涯』を世に出しています。

 

さらに清氏の長男の博氏は、慶應義塾大学の川澄哲夫教授の編集で平成2年(1990)に出版された『中浜万次郎集成』に資料監修者として加わり、次いで『中濱万次郎:「アメリカ」を初めて伝えた日本人』を平成17年(2005)に出版して研究をまとめました。

 

歴代の中濱家の人々による出版物は、これまで一貫して冨山房から刊行されており、ジョン万次郎に関するたくさんの書籍の中核となる情報を提供してきました。

 

 

 

貴重な資料群の劣化が進んでいます

 

これらの研究の基となった中濱家所蔵の資料群は、博氏の娘たちに受け継がれました。

 

しかし万次郎の逝去から125年、あるいは『中濱萬次郎傳』の出版から87年が経過した現在、一部の資料の状態は悪化しています。貴重な資料群を後世に伝えるためには、これらは安全な収蔵庫へ移管されなければならないと私たちは考えるに至りました。

 

資料群の一部

 

ガラス乾板とフィルム

中濱コレクションには万次郎から数世代にわたる時代の写真資料が含まれており、特に古いガラス乾板やフィルムに劣化が顕著です。乳剤層の剥離やカビ、酢酸臭の発生も認められます。ガラス乾板は、かろうじて残っているイメージをデジタル化した後に、優先的により安全な保存環境下に置くことを計画しています。

 

 

万次郎は、亡くなるまでの17年間を長男の東一郎の家族と共に過ごしました。下の写真は、東一郎と妻の芳子、長女の絲子、長男の幸、次女の榮子、次男の清、そして幼い二人の間にいるのはお手伝いさんの「くに」でしょうか。初代東京市医師会長も務めた東一郎は、ジョン万次郎のレガシーが後世に伝えられる上で決定的な役割を果たした『中濱萬次郎傳』を昭和11年に冨山房から出版し、翌年に亡くなりました。中濱コレクションは東一郎が礎を築き、子孫が守り伝えたものです。

 

 

万次郎を取り立てた江川太郎左衛門の関係資料などの中に万次郎が撮影した写真が残っていますが、万次郎の最初の妻である鉄が写ったこのガラス乾板も万次郎自身によるものと考えられます。鉄は一男二女を遺して25歳の若さで病没しました。

 

 


 

✔万次郎が描いた鳥島救出の図か

万次郎作といわれているこの絵は、ジョン・ハウランド号の乗組員が鳥島から万次郎たち5人を救出する場面を描いたものです。絵は稚拙ですが、船首と船尾が同じ形の捕鯨ボートの特徴や、帆船の帆装艤装は正確で、捕鯨航海の実用的な知識を持つものが描いたことが分かります。上から4行目は “Munjlo”(Manjiro)、5行目は不明、6行目は “Narcharnonoham”(Nakanohama)でしょうか。

 

 


 

✔『漂客奇談録』

万次郎が伝蔵、五右衛門とともに帰国すると、朝野の様々な人々が彼らの経験を聞き取り、文字に起こしました。それらの読者によって虚実ないまぜの物語が次々に制作されたので「万次郎漂流記」はバリエーションに富んでいます。表紙の裏など、欄外にある書き込みも興味深いです。
 

 


 

左:万次郎伝のバリエーションのひとつ『亜米利加漂流譚』、右:万次郎が福沢諭吉とともにサンフランシスコで購入した『WEBSTER辞書』
韮山笠(韮山代官の江川太郎左衛門が考案した漆塗りの編笠で、万次郎が咸臨丸の船上で使用したもの)
万次郎が扇面に書いたと伝わるローマ字表記の俳句

 

ただし中濱家の人々によって大切に保管されてきた資料群をすぐに温湿度管理された収蔵庫に移すことは現実的ではありません。

 

そこで準備的な作業として、より安定した環境下で守るためにまずはそれらを整理し、目録化しながら、長期保存に適した中性紙の封筒や箱などに収めることが望ましいと私たちは考えています。

 

具体的には以下のことを実施します。

 

現時点では資料群の内容と状態のおおまかな把握を目指し、悉皆的な調査は行わないが、中濱コレクション・データベースを構築することを将来的な目標に据えて、おそらく数百点に上る資料一点ごとに固有の資料番号と名称を付与し、撮影し、データベース作成を開始する。


状態が特に悪い資料は可能な限り阻害要因を除去し、より安全な保管環境下におく。


コレクションの概要をまとめ、重要な資料数点を選んで解説し、調査報告書(小冊子)を制作する。

 

上記を実施するためには、関連する研究費用、劣化が激しい資料の修復費のほか、専用の梱包資材の購入も大量に必要になります。

 

また調査団員はボランティアで予備調査に従事してきましたが、団員の居住地はそれぞれ遠く離れているため、一同に会して調査を実施するための旅費も嵩んでいます。そこでクラウドファンディングを通して皆さまから広く支援を募らせていただき、本格的な調査の実施を後押しいただきたく思います。

 

<目標金額>

300万円

※目標金額を超えていただいたご支援は、さらなる資料修復費用などに充てさせていただきます

 

<資金使途>

ジョン万次郎の資料の調査研究費(旅費含む)、資料修復費、保管用の梱包資材購入費、調査報告書の作成費など

 

 

万次郎 生誕200周年を見据えた第一歩

 

今回の調査は、将来的にコレクションのデータベースを構築し、さらにデジタル・アーカイブとして広く公開するための第一歩です。


万次郎に関する資料は米国にも遺されています。たとえばホイットフィールド家には、万次郎がホイットフィールド船長宛に書いた手紙、ホイットフィールド船長がジョン・ハウランド号の上で記録した航海日誌等が伝わっています。ニューベッドフォード捕鯨博物館や公共図書館には、万次郎が乗り込んだ船の記録や、彼がフェアヘイブンに暮らしていたときの家、通った学校、関わりがあった人々に関する様々な資料が保存されています。


令和9年(2027)は万次郎の生誕200周年となる記念の年です。私たちは、中濱家とホイットフィールド家に伝わるものと、アメリカ捕鯨産業の中心地であったニューベッドフォード地方に残るものを中心に、万次郎に関する資料を広く集めて特別展を開催し、図録を出版することを計画しています。

 

その際には、合わせて中濱家、ホイットフィールド家、そしてペリー提督の子孫を米国から招いてシンポジウムを開催することも考えています。


今回のクラウドファンディングが成功し、目標金額を超えたご支援をいただいた場合には、上記のような次の展開のために大切に使用させていただきます。また、特別展の開催やデジタル・アーカイブ化を目指して、第2弾、第3弾のクラウドファンディングの挑戦も計画していますので、皆さまには今回だけでなく、しばらく継続してご注目・ご協力いただければ幸いです。

 

 

プロジェクトメンバー

 

本調査には私たち団員に加えて、これまでも協力を仰いできた東京大学や米国ニューベッドフォード捕鯨博物館など内外の専門家にお力を貸していただくことになっています。

 

左から 茶川明子 、熊谷幹子、 中濱 京、 櫻井 敬人

 

櫻井敬人
万次郎が暮らしたマサチューセッツ州フェアヘイブンに隣接する米国捕鯨産業の中心地ニューベッドフォードにある捕鯨博物館の元アシスタント・キュレーター、現顧問学芸員

 

茶川明子
帰国後に万次郎が暮らした江東区を含め都内で長年小学校教師を務めた後、現在はNPO法人中浜万次郎国際協会の理事

 

熊谷幹子
万次郎の生誕地・高知県土佐清水市出身で、茶川氏と同じくNPO法人中浜万次郎国際協会の理事

 

中濱 京
万次郎直系5代目の子孫

 

中濱 京(万次郎直系5代目)からのメッセージ

 

私の調査仲間は長年、それぞれが何らかの形で私の先祖ジョン万次郎と関わりがあり、縁あって万次郎調査団を結成しました。

 

万次郎をはじめとした私の先祖達、万次郎を救助してくださった米国のホイットフィールド船長の資料を含んだ調査を開始しました。両家の交流は船長と万次郎から始まって180年以上、6代7代におよび、市民レベルの日米の交流においては、鎖国時代、第二次世界大戦を乗り越えた両家の資料は大変貴重なものです。

 

日米交流の原点として、国家レベルの歴史的資料と言えるでしょう。残念な事に資料の中には傷みが激しい物もありますが、何とか末永く保存していきたいと考えています。


東京大学などの専門家のご意見も聞きながら作業を進めておりますが、我々は歴史家でもなければ、資産家でもなく、万次郎の功績を後世に伝えたいと願うグループです。これまで、時間を惜しまず、自費で集まって熱心に作業をしてくださった仲間に頭が下がり感謝しかないのですが、この先の作業を考えた時、資料デジタル化・資料修復・米国を含む旅費交通費などで資金が必要となります。

 

今回のクラウド・ファンディングで眠っていた両国・両家の資料が眼を覚まし、21世紀の現代の私達の前に甦ってくれることを願っています。

 

応援メッセージのご紹介

  ビビる大木
ジョン万次郎資料館名誉館長

 

事実は小説より奇なり!

それはジョン万次郎の人生のことである。

置かれた場所で花を咲かせる、あきらめない心。

日本に多大な影響をあたえた男の人生をもっともっと知っていただきたい!

ご協力よろしくお願いいたします。

 

  マシュー・カルブレイス・ペリー
M.C.ペリー提督子孫

 

〈 中濱万次郎とペリー提督  - 和平に向けて 〉


ペリー提督が来日した1853年当時、中濱万次郎と提督は互いについての知識はほとんどなく、会ったこともありませんでした。しかし、彼らの言動をみると、二人は同じ目的達成のために助力しあっていたようです。1854年の「日米和親条約」という果実を結んだペリー外交上の成功は、万次郎が米国でウィリアム・ホイットフィールド船長から受けた友情に大きく支えられていたのです。


万次郎は、ペリーの「私は和平の調停役として来日した」という言葉は誠実なものであると幕府を説得し、友好の重要性について語っています。日米両国の友好は、あきらかに中濱万次郎とホイットフィールド船長の友情から始まっていました。そして、中濱家、ホイットフィールド家、そしてペリー家は、今日まで友情を継続しているのです。万次郎生誕200周年(2027年)は、和平に向けた彼の貢献を顕彰する良い機会となることでしょう。

 

  ホイットフィールド船長5代目 ロバート・ホイットフィールド
6代目 スコット・ホイットフィールド


 

中浜万次郎と、彼を無人島から救出したウィリアム・H・ホットフィールド船長の歴史を後世に伝えるためには、古文書などの保存、修復、公開は極めて重要です。ホイットフィールド家は、このクラウド・ファンディングを心から応援しています。

 

 

3分で分かる中濱万次郎(ジョン万次郎)

 

✔ 漂流、そしてアメリカへ


万次郎は、文政10年(1827)に土佐の中ノ浜、現在の高知県土佐清水市中浜に貧しい漁師の次男として生まれました。9歳で父親を亡くし、万次郎は幼い頃から母、病弱な兄、妹を助けるために稼ぎに出ていました。


天保12年1月5日(1841.1.27)、14歳だった万次郎は仲間と共に漁に出て遭難。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ鳥島に漂着します。万次郎達はそこで143日の過酷な無人島生活をおくります。5月9日(6.27)、運良く万次郎たちは島の近くに現れたアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられます。この出会いが万次郎の人生を大きく変えることとなりました。

 

ジョン・ハウランド号(ニューベッドフォード捕鯨博物館所蔵)


当時の日本は鎖国をしており、救助はされても、外国の船は容易に日本に近づけません。また、外国人と交わったとして、帰国できても命の保証はありませんでした。そこで、ジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドは、万次郎を除く4人を安全なハワイに降ろしましたが、万次郎はアメリカへ連れて行きたいと思い、彼の意志を問いました。ハワイまでの捕鯨の旅中、船長は賢くて働き者の万次郎をアメリカで教育したいと思っていたのでした。


万次郎も船長とともにアメリカへ行くことを決断し、船名にちなんでジョンという愛称をもらいます。こうして、万次郎はアメリカへ足を踏み入れることになりました。なお、アメリカでは、万次郎はジョン・マン(John Mung)と名乗ります。漁師だった万次郎には苗字がなかったため、万次郎の万(Mung)をアメリカでは苗字代わりに使ったのです。

 

ニューベッドフォード全景(ニューベッドフォード捕鯨博物館所蔵)

 


 

✔ アメリカでの生活


万次郎を乗せたジョン・ハウランド号は、天保14年(1843.5.6)、マサチューセッツ州ニューベッドフォードの港に入ります。そして、隣町のフェアヘイブンにある船長の家で共に暮らしはじめました。ここで、万次郎は学校に通い、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学びます。万次郎は熱心に勉強し、近隣の住民や学友とも交流します。

 

フェアヘイブンのホイットフィールド船長の家
万次郎が通ったフェアヘイブンのストーン・スクール

 

卒業後は捕鯨船に乗り、数年の航海を経た後、日本に帰国することを決意。帰国資金を得るために、二丁拳銃を携えて万次郎が向かったのは、ゴールドラッシュで沸き立つカリフォルニアの金鉱でした。万次郎は、金鉱で得た資金を持って、ハワイの漂流仲間のもとへ向かいます。仲間のうち一人はすでに死亡し、もう一人は現地で家庭を築いていましたので、残りの二人と帰国準備を整えて、日本に向けて出航します。

 

マッコウクジラ漁の様子(ニューベッドフォード捕鯨博物館所蔵)

 


 

✔ 帰国、琉球・薩摩・長崎・土佐


嘉永4年1月3日(1851.2.3)、琉球の大渡浜海岸(沖縄県糸満市)に万次郎たちは上陸します。番所での尋問はありましたが、高安家にお世話になり、地元の祭りなどにも参加して半年ほど過ごします。当時、琉球は薩摩藩の支配下にありましたので、その後は薩摩本土に送られ、薩摩藩や長崎奉行所などで長期に渡って取り調べを受けました。故郷の土佐・中ノ浜に帰還できたのは、嘉永5年10月5日(1852.11.16)、琉球上陸から約2年後のことでした。


土佐藩では公式な記録として『漂客談奇』が記され、土佐15代目藩主山内豊信(容堂)の命により蘭学の素養がある絵師・河田小龍が聞き取りを行います。このとき河田小龍によってまとめられたのが『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』です。漂流からアメリカでの生活、捕鯨の様子、ハワイや南洋の島々の風景、通信や汽車などのアメリカの進んだ技術など、鮮やかな挿絵とともに帰国までをまとめています。山内容堂公にも献上され、多くの大名がその写本を目にしました。万次郎は、高知城下の藩校・教授館の教授になります。

 

ある日、吉田東洋に外国の地図を広げて世界情勢を説明していると、そばで熱心に話を聞いている少年がいて、万次郎は感銘してその少年に地図を与えました。それが、15歳の後藤象二郎でした。岩崎弥太郎らも直接指導を受けたといわれています。坂本龍馬と直接会った記録はありませんが、龍馬や多くの幕末志士たちは河田小龍に面会していますので、『漂巽紀略』を目にしていたことでしょう。

 


 

✔ 江戸(東京)での活躍


その後、嘉永6年(1853)、万次郎は幕府に招聘され江戸へ移って幕府直参となります。その際、故郷である中ノ浜を姓として授かり、中濱万次郎と名乗るようになりました。この異例の出世には、ペリー来航により幕府がアメリカの情報を必要としていたという背景がありました。万次郎は江川英龍の元で、翻訳や通訳、造船指揮、人材育成にと精力的に働きました。

 

晩年の万次郎

 

しかし、スパイ疑惑によりペリーの通訳の仕事からは外されてしまいます。とはいえ、万次郎の知識を必要とする人々は多く、万次郎に英語や航海術を学びに来る人は絶えませんでした。


万延元年(1860)、万次郎は「日米修好通商条約」の批准書交換のためにアメリカへ行く使節団を乗せたポーハタン号の随行艦「咸臨丸」の通訳、技術指導員として乗り込みます。この軍艦・咸臨丸には、艦長の勝海舟や福沢諭吉ら、後に歴史の舞台で活躍する重要人物も乗っていました。サンフランシスコへ向かう途中、咸臨丸は嵐に遭遇しますが、万次郎は同乗していたアメリカ海軍の水夫らとともに咸臨丸を操り、危機を乗り切ります。


サンフランシスコから帰国後も、捕鯨活動、小笠原開拓、開成学校(現在の東京大学)教授就任などめまぐるしく動き続けました。明治3年(1870)には、普仏戦争視察団の一員としてヨーロッパへ派遣されます。ヨーロッパからアメリカ大陸に渡り、ニューヨークに滞在した時、万次郎はフェアヘイブンまで足を運び、約20年ぶりに恩人であるホイットフィールド船長に再会を果たしました。

 

しかし帰国後、万次郎は病に倒れ、静かに暮らすようになりました。そして明治31年(1898)、71歳で万次郎はその生涯を閉じました。

 


●プロジェクトに関するご留意事項
 

○掲載している画像や資料写真はすべて提供元からの掲載許可を得ています。

 

○本プロジェクトへのご支援は寄付金控除の対象にはなりませんので、予めご留意ください。

 

○ 支援完了時に「応援コメント」としていただいたメッセージは、本プロジェクトのPRのために利用させていただく場合があります。

 

○ リターンにつきましては、プロジェクト達成後は、既にご支援いただいたコースから別のコースに変更することはできませんので、ご了承ください。

 

○ ご支援に関するご質問は、こちらをご覧ください。

プロジェクト実行責任者:
熊谷幹子(万次郎資料調査団)
プロジェクト実施完了日:
2024年9月30日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

中濱万次郎に関する資料群の内容を把握し、より安全な環境下に保管します。資金は調査旅費、資料修復費、保存器材の購入費、調査報告書の作成費などに充てる予定です。

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リターン

10,000+システム利用料


A|オンライン報告会へご招待 、調査報告書(小冊子)

A|オンライン報告会へご招待 、調査報告書(小冊子)

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)

支援者
16人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

20,000+システム利用料


B|オリジナル絵はがきセット

B|オリジナル絵はがきセット

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット

支援者
5人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

30,000+システム利用料


C|万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り

C|万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」。高知県出身者が作曲し、万次郎直系5代目の中濱京さんが作詞した、日本語と英語のポップ調の5曲がおさめられています。

支援者
5人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

50,000+システム利用料


D|『漂巽紀畧』(講談社)

D|『漂巽紀畧』(講談社)

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」。高知県出身者が作曲し、万次郎直系5代目の中濱京さんが作詞した、日本語と英語のポップ調の5曲がおさめられています。
●『漂巽紀畧』(講談社)
・万次郎が口述し、河田小龍が記録し絵を描いた『漂巽紀畧』の全現代語訳です

支援者
5人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

100,000+システム利用料


E|書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著

E|書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」。高知県出身者が作曲し、万次郎直系5代目の中濱京さんが作詞した、日本語と英語のポップ調の5曲がおさめられています。
●『漂巽紀畧』(講談社)
・万次郎が口述し、河田小龍が記録し絵を描いた『漂巽紀畧』の全現代語訳です
●書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著
・万次郎入門書ともいえる1冊です

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

300,000+システム利用料


F|書籍『中濱万次郎 「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(万次郎4代目)著

F|書籍『中濱万次郎 「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(万次郎4代目)著

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」。高知県出身者が作曲し、万次郎直系5代目の中濱京さんが作詞した、日本語と英語のポップ調の5曲がおさめられています。
●『漂巽紀畧』(講談社)
・万次郎が口述し、河田小龍が記録し絵を描いた『漂巽紀畧』の全現代語訳です
●書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著
・万次郎入門書ともいえる1冊です
●書籍『中濱万次郎 「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(万次郎4代目)著
・万次郎研究のバイブルといえる1冊です

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

500,000+システム利用料


G|日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待(1名様分)

G|日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待(1名様分)

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」
●『漂巽紀畧』(講談社)
・万次郎が口述し、河田小龍が記録し絵を描いた『漂巽紀畧』の全現代語訳です
●書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著
・万次郎入門書ともいえる1冊です
●書籍『中濱万次郎 「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(万次郎4代目)著
・万次郎研究のバイブルといえる1冊です
●日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待
・ご招待は1名様分
・開催日時:2024年7月
・会場までの交通費や宿泊費は別途ご負担いただけますようお願いいたします
・万次郎、ホイットフィールド船長、ペリー提督の子孫も勢揃いします
・詳細は開催の2ヶ月程前までにご連絡いたします

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

1,000,000+システム利用料


H|日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待(2名様分)

H|日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待(2名様分)

●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします
●調査報告書(小冊子)
●オリジナル絵はがきセット
●万次郎の歌(日英語)のCD ポップ調5曲入り
・CDのタイトルは「ACROSS THE SEA WITH LOVE」
●『漂巽紀畧』(講談社)
・万次郎が口述し、河田小龍が記録し絵を描いた『漂巽紀畧』の全現代語訳です
●書籍『ジョン万次郎 日米両国の友好の原点』中濱京(万次郎5代目)著
・万次郎入門書ともいえる1冊です
●書籍『中濱万次郎 「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(万次郎4代目)著
・万次郎研究のバイブルといえる1冊です
●日米草の根サミット和歌山大会オープニングパーティーへご招待
・ご招待は2名様分
・開催日時:2024年7月
・会場までの交通費や宿泊費は別途ご負担いただけますようお願いいたします
・万次郎、ホイットフィールド船長、ペリー提督の子孫も勢揃いします
・詳細は開催の2ヶ月程前までにご連絡いたします

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

5,000+システム利用料


I|純粋応援コース

I|純粋応援コース

ーーー
こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール

支援者
13人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年11月

10,000+システム利用料


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J|純粋応援コース

ーーー
こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
13人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

30,000+システム利用料


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K|純粋応援コース

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こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

50,000+システム利用料


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L|純粋応援コース

ーーー
こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

100,000+システム利用料


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M|純粋応援コース

ーーー
こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

300,000+システム利用料


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N|純粋応援コース

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こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

1,000,000+システム利用料


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O|純粋応援コース

ーーー
こちらは特別なリターン品をお届けしない代わりに、いただいたご支援のほとんどをプロジェクトに充てさせていただくコースです。
ーーー
●感謝のメール
●オンライン報告会へご招待
・2024年9〜10月の間に開催予定です
・詳細は開催の2ヶ月前までにご連絡いたします

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年10月

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