目指せ、減農薬!持続可能な農業モデルを、有田のみかん畑から。

支援総額

609,000

目標金額 560,000円

支援者
70人
募集終了日
2018年7月31日

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2018年07月15日 23:03

特別企画!早和果樹園特集 1.新しもん好きが羽ばたいた

 

7軒の農家さんの集まりから、日本を代表する6次産業企業に至る道


2018年6月末日、私はお中元時期でご多忙な早和時果樹園さんを訪問し、専務のマークン(以下「マー」と表記)、常務の大浦さん(以下「大浦」と表記)にお時間を割いて頂いて、農家さんの組織から会社創設までの歴史、6次化のきっかけや道のり、商品開発やネーミングの手法、販売方法、働き方などについて、3時間に及ぶインタビューをさせていただきました。

 

地元の幼馴染たちがどんな経緯で現在に至ったのかについて知りたいと思う純粋な好奇心と、この土地で新しくみかん農業のビジネスを構想するにあたり、先駆者である彼らの考え方や地元での軌跡、ステークホルダーとの関係などからヒントを探したいという想いもありました。


早和果樹園さんを取り上げる大手メディアの記事では見られない、距離感ゼロで地元感覚ありのままの姿を、インタビュー形式で生々しくお伝えしたいと思いますので、どうかご覧ください。


橘久丸商會プロジェクトは、常に時代を創り続ける早和果樹園さんにお力添えいただいて、共に新しい農業の未来を模索していきます!

 

早和果樹園の歴史!みかん農家たちのベンチャースピリット!

株式会社早和果樹園 取締役専務のマークン(左)と取締役常務の大浦さん(右)

 

乙井  先ずは早和果樹園さんの歴史についてお聞きしていいですか?

 

大浦  今年で445年目の栽培の歴史になるんですけど…

 

乙井  えーっ!?そんな長いの?

 

マー  それ有田みかんの歴史やろっ!早和の歴史ちゃうやろー!?

 

大浦  まあ、背景はそういうところからかなと(笑)。安土・桃山時代が出発と言われてますね。

 

マー  江戸時代の糸我の伊藤孫右衛門が肥後国八代から持ち帰ったんが始めとも言われてる。

 

乙井  他にも諸説あるようです。読んで頂いている皆さんにお伝えしますと、ここ有田は歴史的にも古い土地なんです。古墳と一緒になった神社もあれば、有田川の向かいの糸我は万葉集にも詠まれてるし、地元宮原の中央には熊野古道も通ってるんです。

 

大浦  僕は5代目で、それより前は7.18水害で流されてわからないですけど…。

 

乙井  ( ˘⊖˘) .。oO(高野山から流れる有田川の水害は地元では繰り返し語り継がれて地域の防災に役立てられている。有田川の水害を軸に、主人公千代の波乱万丈の生涯とありのままのみかん農業を、精緻な取材に基づいて描いた文豪・有吉佐和子さんの小説『有田川』は、地元民必読?の書!)

 

マー  うちも江戸からの家系図出てきたなー。何代目か全然知らんけど(笑)。昔って同じ名前の人がずーっと続くんやわな。うちは長兵衛さん。屋号は「南長」っていうんやけど。南の長兵衛さん。

 

乙井  大浦さんは、今はどちらにお住まいなんですか?


大浦  今は東(ひがし:大字名)に住んでます。昭和28年の水害の時に上流から社長の倉庫の所に流されて、当時仮住まいさせてもらってたみたいです。

 

マー  うちはお爺ちゃんかお爺ちゃんの親父ぐらいからかな、百姓というかみかんやりだしたんは。昔は田んぼが多かったけど、お爺ちゃんの頃に山を切り開いていったみたい。

 

大浦  その山を切り開いた時に出てきた石で、みかん畑の石垣組んでいったみたいですよ。

乙井  なるほど。その頃に、この地域独特の文化的な景観ができたんですね。その後、どうやってこの地域の今のみかん産業が発展していったんですか?

 

大浦  うちのおじいちゃんも当時は複合農業で牛飼いながらみかんやってたんですけど、みかんの値段がええさけ(いいから)って周りの人もみな作り始めて、字(あざ)に共撰(果実の共同撰果場組合)ができて、農協(JA)が出来たんかな。

 

マー  昔は各字に東(ひがし)共撰とか、道(どう)共撰とかよ、滝川原(たきがはら)の宮原(みやはら)共撰とか一個ずつあったんよ。その頃、バーンって共撰増えていったんやけど、僕らが生まれるくらい(45年ほど前)に全国的にみかん作り過ぎて価格が暴落よ。一番多いときで300何十万トンとかあったらしけどよ。

 

大浦  多分、その前に米ができ過ぎて水田を畑に変えましょうって言うて代替作物でみかん作ったんかな。元々水田やった畑でみかん作ったら、水ぎれが悪いんでどんどん樹が育って、美味しくないデカいみかんの量も増えて品質も落ちるんです。

 

乙井  共撰についても、みなさん解らんかもしれんので改めて教えて下さい。

 

マー  共撰は組合員が収穫したみかんを共同撰果場に持ち寄って、等級(見た目のきれいさ「優/秀/良」)・階級(サイズ)で分けるところ。

 

大浦  当時は美味しさを測る方法がなかったので、見た目のきれいさとサイズで撰果してました。何でせなあかんかというと、みかんを持ち寄って販売した後で、集まったお金を組合員に平等に分配したら、頑張って良いみかんを作っている人が不公平になるので、基準が採用されたんでしょうね。当時はよりきれいでより玉がでかいのが良かったんやと思います。

 

乙井  共撰で共通の指標やわかり易い基準を作って、良いみかんを作る人が儲かる仕組みができていったというわけですね。僕も小さい頃から共撰って場所とか仕事内容は何となく聞いてたんですけど、早和さんが共撰やってた時から、株式会社化するまでにどういう経緯があったんですか?

 

マー  そもそもね、早和の7軒の農家も東共撰に属してたんやけど、昭和40年代に親父らの世代が早和柑橘研究会っていう温州みかん以外のネーブルとかの柑橘を作る地域の研究グループで活動してたんやて。ある時、そのグループで研究してできた柑橘を自分らで売り出したいっていうことになって。そしたら共撰の中にもう一つグループあるんはおかしいやないかってことになって、それやったらと研究グループの7軒で共撰を抜けたらしい。それが早和共撰組合、昭和54年(1979年)の話。わがらの子供の頃よ。

 

乙井  思い切ったんやね!必要な撰果機もお金出し合って買ったってこと?

 

マー  補助のない中で、1軒の農家が扱う撰果機よりもちょっと毛の生えた大きさの撰果機でやってた。

 

大浦  あんなんでようやってたな、今から思えば。あの時代やからやれたんやろな。


乙井  当時は温州みかんや研究したネーブルがラインナップやったんやね?

 

大浦  みんな新しもん好きやったんやな。新しいことに取り組ませてもらえんかったからやな。やらせてもらってたらまた違ってたんかな?

 

乙井  チャレンジがしたくて、既存の枠から飛び出たかったんですね。

 

大浦  組合長経験者のメンバーが抜けたってことで、最悪のパターンですわ(笑)。

 

マー  お爺ちゃんらがよう「ウン」っていうたなって思う。「お前らがやりたいって言うんなら…」って…。

 

乙井  そうやって7軒の農家さんが新天地を求めて羽ばたいていったと。

 

マー  最初は羽が全くもがれた状態で(笑)。大変やったらしいで。

 

乙井  だから余計に頑張ったということやね。JAとの関係はどうやったの?

 

マー  JAには入らせてもらってたみたい。その時の関係は僕らには解らんな。

 

乙井  じゃあ今のJAとの関係ってどうなの?あまりその辺のことも農家さんじゃない僕にはよく解らんのやけど、通常はどうで、ここ有田ではどうっていう違いはあるの?

 

マー  他の地域から有田を視察に来た時に「意味分からん」ってよう言われるんよ。普通は静岡とか愛媛とか他のみかん産地はどこでも何するんでもJAがガッチガチに入って、どんなことやるって決めて動くらしいんよ。でも、そもそも有田はそういう人が集まってる地域なんやと思うけど、そんなこと言われても全員が言うことなんか聞かん(笑)。

 

大浦  農家各個人のポリシーで、「自分の味」にこだわって、「自分が一番」でやってきた地域なんですね。

 

乙井  ( ´ー`).。oO(うむ、だから地元の農家さんを巻き込んで何かするってのは相当大変なんだわ…)

 

マー  他産地よりもまだ未だに有田は個撰が多いんやけど、それって他の産地と比べて直ぐ隣に大阪とか京都とかの大消費地があったからやろうね。愛媛やと、みんなでまとまって出さんと自分とこだけでおっきな運賃払うとか考えられへんやん。ほやから大きい固まりでやらんとやりづらかったんやろうと、昔に聞いたことある。

 

でもここらへん有田やと「われがわれが(自分が自分が)」って言うてる人らに何言っても「あぁ?(`ヘ´)」って返されるだけやから、もう「じゃあもう好きなようにやって下さいよ、でもJAの中には入ってね」って感じなんじゃないんかな?県農ってJAのもっと上の組織にも入って手数料も払ってるんやけど、各共撰の売り方はてんでばらばら。でも他の産地はJAなにがしで売る感じになる。それがいやなら抜けるんやろな。JAから抜けることになる。で、その人達は個人とか組合を作ってやることになる。

 

僕らは小さい単位になってもJAとは繋がってる。地域性やろうな。JAありだにみかん(生果)出してる時は「JAありだ早和果樹園」やし。自分らのスタイルが変わってるって気付いたんは、他の産地の人に言われてからかな…。

 

乙井  ( ´ー`).。oO(今、JAさんも大変化のタイミングのはず…JAありださんにも新しい取り組みに関わって頂ける道筋を作れるといいな♪)

 

共撰から飛び出した新しいもの好きの7軒の農家さんたち。その後、どういう経緯で法人化し、生産・加工・販売までを手がける6次産業化を果たしたのでしょうか?インタビューはまだまだ続きます。

 

<次回に続きます>

 

早和果樹園さんのリターン紹介はこちら。

 

リターン

3,500


サンクスレター+特製クリアファイル

サンクスレター+特製クリアファイル

●サンクスレター
●橘久丸商會特製クリアファイル

申込数
4
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2018年8月

11,000


虹のネ農園・自然栽培みかんのみかん番茶・陳皮パウダーセット

虹のネ農園・自然栽培みかんのみかん番茶・陳皮パウダーセット

●みかん番茶 リーフ100g 1袋
●みかん番茶 ティーバッグ3g×33個
●陳皮パウダー 150g 1袋
●橘久丸商會特製クリアファイル

和歌山の虹のネ農園の自然栽培みかんと、奈良の健一自然農園の自然栽培茶葉を贅沢に使ったほんのり香るみかん番茶!皮を干して作られた漢方薬の原料にもなる陳皮の粉末!2種3品をセットで!

申込数
2
在庫数
8
発送完了予定月
2018年8月

3,500


サンクスレター+特製クリアファイル

サンクスレター+特製クリアファイル

●サンクスレター
●橘久丸商會特製クリアファイル

申込数
4
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2018年8月

11,000


虹のネ農園・自然栽培みかんのみかん番茶・陳皮パウダーセット

虹のネ農園・自然栽培みかんのみかん番茶・陳皮パウダーセット

●みかん番茶 リーフ100g 1袋
●みかん番茶 ティーバッグ3g×33個
●陳皮パウダー 150g 1袋
●橘久丸商會特製クリアファイル

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申込数
2
在庫数
8
発送完了予定月
2018年8月
1 ~ 1/ 16

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