こんにちは!大阪大学考古学研究室です。
 この度のプロジェクトでは、多くのご支援をたまわり、誠にありがとうございます。引き続き、ご支援ならびに情報の拡散をお願いいたします。


 さて今回は、みなさんに古墳のことを知っていただくためのコラムとして、「古墳の形」について、ご紹介したいと思います。


①古墳にはどのようなかたちがある?
 「古墳」とひとくちに言っても、その形は様々です。
 一番有名なのは、堺市にある大仙陵古墳(仁徳天皇陵とされる古墳)のような「鍵穴」形のものではないでしょうか?こうした形の古墳を、「前方後円墳」と呼んでいます。


 

おもな古墳の形。このほかにも様々な形をした古墳がありますが、特に数が多いのはこの4種類。

 

 

 前方後円墳は、百舌鳥・古市古墳群など300m以上の非常に大きな古墳で採用されており、最も格式の高い形であると考えられています。
 古墳には、このほかにもいろいろな形があります。たとえば、前方後円墳のうち丸い部分が、四角形になっている「前方後方墳」も、ユニークな形状であるといえます。より単純な円形、方形の古墳はそれぞれ「円墳」「方墳」と呼んでおり、前方後円墳よりは小規模であることが多い傾向にあります。

 

 今回のプロジェクトで対象としている野中古墳も、この方墳になります。百舌鳥・古市の大古墳群にありますが、規模も合わせて、トップクラスの古墳ではないことになります。ところが、盗掘などの被害が少なかったことなどもあって、豊富な副葬品が残されていた稀有の例になります。トップクラスの古墳ではどんな状況になっていたのか、想像をかき立てられますね。

 

 実のところ、このほかにも前方後円墳の前方部を非常に小さくした帆立貝式とも呼ばれる形のものや、時代が新しくなると、方墳の上に円墳が載るような上円下方墳や、八角形をした八角(形)墳などもあります。
 奈良時代以降には大型の土盛りをした古墳が消滅しますが、ずっと時代が下って明治天皇陵では、上円下方墳という形を採用しています。さらに、明治天皇の父の孝明天皇陵は、円墳の上に八角墳を載せたような形をしています。この天皇陵から、かつての古墳を模した形状が復活しています。
 明治天皇陵などはともかくも、これら古墳の形の差がどのような意味を持つのかについては、また後日ふれてみたいと思います。

 

【閑話】ちなみに、海外向けに英語で表現する際には、前方後円墳を直訳しても意味が分かりにくいので、“Keyhole-shaped”と呼ぶことが少なくありません。ただし、現在一般的な鍵穴は、もはや丸に四角を付け足したような形ではなくなっていますので、そのうちこの表現も死語になるかもしれません…。どうしたらよいでしょう?皆さんの名案をお待ちしております!

現代の鍵穴。むしろカモメに似ている…?

 

 

②なぜ「前方」「後円」墳なのか?
 それでは、最後に再び前方後円墳に戻って、その名前はどうして名付けられたのでしょうか? この名前が初めて登場するのは、江戸時代の蒲生君平(1768~1813)の著作『山陵志(さんりょうし)』においてとされています。この場合、宮車(例えば牛車を想像ください)になぞらえて、牛などが引っ張る長柄の部分(車の前方側)が、前方後円墳を横から見た際の低い側、偉い人が乗る後ろの車本体側が、墳丘のうち高い後円部に当たると見たてられたようです。その名称がいまだに用いられていることになります。

 

 ですから、厳密には、前方後円墳のどちらが前か、決まっているわけではありません。ただ、古墳に葬られた、いわゆる被葬者のうち、最も中心となる人物は、後円部の中央に埋葬されていますので、それを奥の空間とみなして後円部と呼ぶのも、あながち間違いとは言えないことになりそうです。


 前方後円墳は、日本で作り出された古墳の形と考えられています。その形がどのようにして生まれてきたのか、さらになぜ巨大化していったのか、など、まだまだ謎に満ちています。
 みなさんの新たな仮説が、謎の解明につながるかもしれません。

 

次回は、具体的な古墳の構造に迫ってみたいと思います。お楽しみに!

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