ディレクター 谷崎テトラのシキタさんへの追悼メッセージ

僕とシキタ純さんの出会いは今から35年前、僕が18歳の時にさかのぼる。

 


僕は大阪芸大の学生でモーツアルテ・ユーゲントというバンドをやっていて、そのデモテープを西麻布にあった式田純事務所に売り込みに行ったのだった。
当時「TRA」というカセットマガジンがあって、式田さんはそのプロデューサーだった。「TRA」は当時ニューウエーブと言われたロンドンやベルリン、そしてTOKYOの先端音楽シーンを伝えてくれるメディアで、モード系のブティックや今でいうセレクトショップでしか手に入らないというものだった。僕はそのテープを擦り切れるまで聴いていた。
西麻布の交差点で道に迷い1時間以上、遅れた上にようやくたどり着いた事務所に憮然とした顔で待っていたのが、TRAプロデューサーの式田純だった。

TRA  BERLIN
https://www.youtube.com/watch?v=OpU6rdsxiZk

TRA Vol.2 (Winter 1982) Side-B pt.1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=devpl1Kd-Mk

その後、僕は大学を中退し、東京に移住しDJやライターや企画の仕事をするようになるのだけど、シキタさんは「TRA」の後CD-ROMをメディアとした日本初のCD-ROMマガジン「INTRO」を創刊していて、アナーキックアジャストメントのニック・フィリップのインタビューに関わらせてもらったのがシキタさんとの二度目の出会い。とにかく「新し物好き」の僕は声をかけてもらった「INTRO」に飛びついた。
「INTRO」の伝えた当時の西海岸の文化は、アンビエント音楽とコンピュータカルチャーに集まるハッカー達が出会い、そこにティモシー・リアリーなどが復権していて、最高に刺激的だった。
ここで後にBeGood Cafe TOKYOの音楽ディレクターになるアナーキックアジャストメントのDJ MUNEと出会い、その後、シキタさんとDJ MUNEと僕とでTOKYO FMの番組「GOOD ON EARTH」を立ち上げることになる。

90年代に入り、パソコン通信のBBSが始まった頃、シキタさんは日本で初めてGUI(グラフィックユーザーインターフェイス)を実装した「タイガーマウンテン」というBBSのサービスを開始した。インターネット前夜、電話回線で個人が繋がる日本で初めての「サイバーコミュニティ」だった。僕はその中にある「サイバーポップロッジ23」というコミュニティの管理人となった。「タイガーマウンテン」には様々なアーティストや思想家が集いリアルタイムで会話する、今でいう「チャット」が実装されていた。シキタさんはやがてそれが世界を変える仕組みになると確信し、それに投資したが、やってきたのは「インターネット」という「誰でもアクセスできる「無料のインフラ」の登場だった。シキタさんは新しいものを見つけて最初に始めて広める人だけど、それを大きなビジネスにすることはできない人だった。何もかもが早すぎる。シキタさんのアイデアを後から来た人が上手に商売にしていくケースを何度も見てきた。シキタさんは0から1を作る人。「イノヴェーター」なのだ。

シキタさんとの3度目の出会いは90年代の終わりの頃である。僕は95年くらいからTV番組の放送作家の仕事を「環境番組」にシフトさせ、環境NPOに関わり始めていた。温暖化が言われ始め、それをいかに多くに人に伝えるかが課題だった。ある時シキタさんから電話がかかってきて、原宿の「オシャレなカフェ」で環境についてトークをするイベントをやりたいから相談に乗って欲しいとのことだった。当時、社会運動に関心がある人と「オシャレ」が結びつくと考える人はほとんどいなかったと思う。「素敵ないいこと」をテーマにしたいという。「素敵ないいこと」をすることが「オシャレ」な時代が来るという。それが99年に原宿カフェ・デ・プレで始まった「BeGood Cafe TOKYO」である。
僕が知る限り、シキタさんのこのアイデアに最初に乗っかったのは、映画監督の中野裕之さんとイラストレータのミック板谷さんという僕より10個以上年配のオジさん達だった。この3人が「BeGood Cafe TOKYO」の「ファウンダー」であることをここに記しておく。多分、3人でお金を出し合ってカフェを借りたんではないかな。この頃から式田純はシキタ純と名乗り始めたと思う。
「BeGood Cafe TOKYO」に僕はディレクターとして加わった。「BeGood Cafe TOKYO」はカフェデプレに人が入りきれなくなり、青山の「共存」というスペースで開催するようになり、飲食を自前で準備する必要性から、オーガニックフード、フェアトレードコーヒーを販売するようになる。DJはK.NOTO。環境イベントにDJが入るというスタイルは多分「BeGood Cafe TOKYO」が初めてだろう。

オープニングにはこれをかけて欲しいとシキタさんが持ってきたのが、ドアーズの「水晶の船(The crystal ship)」。BeGood Cafe TOKYOのテーマ曲になった。

ドアース「水晶の船(The crystal ship)」の歌詞です。

 あなたの意識が水底に沈む前に
 もう一度だけ口吻させて
 無上の幸福の閃く一瞬
 もう一度だけ口吻させて ねえ もう一度だけ
 過ぎ行く日々は眩しすぎて その上痛みに満ちていて
 あなたの降らす雨の中に優しく閉じ込めて欲しくなる
 その口唇は一つの言葉をとりとめなく繰り返す
 もう一度逢えるのよね きっと巡りあえるのね と
 あなたの自由の棲む場所はどこ
 表のざわめきは絶える事がないね
 あなたの泣き叫ぶ理由は何?
 僕をこの悪夢から解放してよ
 こっちが泣きたいくらいなんだから
 水晶の舟はもういっぱいだ
 千の女の子と千のスリルで
 あなたが何をしようともう自由だよ
 でも現世に戻る時も
 この舟に乗せてはやらないからね
https://youtu.be/bU1sLx1tjPY

最初はなぜこの曲なのだろうと思った。重たく暗いバラード。
しかも「The crystal ship」は60年代のドラッグカルチャーの隠語の一つである。しかし、これこそがシキタさんのセンス。今は本当にこの曲しかないと思っている。

「BeGood Cafe TOKYO」は、青山の「共存」もやがて参加者はいっぱいになり、開催場所は代官山ボールルームへと移動する。
このボールルームで「BeGood Cafe TOKYO」のスタイルが完成したと思う。
全てボランティアで運営されていたのだけど、スタッフの昼食のカレーは毎回シキタさんの手作りだった。前日に仕込んだカレーをシキタさん自ら、スタッフにサーブした。
そして会が始まる前にはスタッフ全員が輪になり、手を繋いだことを覚えている。シキタさんが始めたのだと思うけど、不思議な儀式だった。

「この世界の主役は親でも教師でも会社の上司でも恋人でもありません。
 この世界の主役はあなた自身です。素敵ないいこと始めましょう。」
シキタさんのこの言葉からスタートする。
恥ずかしい、照れ臭い、カッコ悪い、と思いつつも、やがてその言葉に慣れ、その通りだと思うようになり、その当たり前のことを真顔で言うシキタさんはかっこいいと思えるようになった。


「BeGood Cafe TOKYO」は参加型の「コミュニティカフェ」の先駆けだった。

オープンは昼過ぎ。最初は「オープンマイク」の時間がある。一人五分で、誰もがマイクで自由に発言することができる。詩の朗読、ラップ、歌、自由にマイクパフォーマンスをする。その後、NPOやNGOなどの団体のアピールなどがある。そして夕方からはメインのトーク。2〜3名のゲストを迎えて「食」「農」「環境」「平和」「フェアトレード」「教育」などの様々なテーマの話をする。MCシキタさんの真骨頂だ。そしてトークが終わると音楽のLIVE。
ジャンルは様々だ。会場にはフードとドリンク以外にNPOのブースやフェアトレードの商品の出店、託児コーナー、ロミロミマッサージや占いのブースなどもある。東京でいち早く地域通貨レインボーリングを導入し、使うことができる場所だった。

2003年に特定非営利活動法人となった。僕も最初の理事のメンバーの一人になった。「BeGood Cafe」は2007年まで毎月開催して、99回を数えた。最大450人が参加。大阪、京都、安曇野、九州、北海道など全国18カ所に広がり、今もネットワークは生きている。トークゲストだけでも数百人が登壇し、そこから新しいプロジェクトが生まれた。
http://begoodcafe.com/archive-bgc/project_list

「BeGood Cafe TOKYO」が99回で終了した理由はいくつかあるが、さすがに毎月、300人規模(最大450人が参加。)のイベントをボランティアだけで開催するのは大変なことだ。それと同時に、「アースデイ東京」「BE IN」「WPPD」「エコビレッジ国際会議」「VISIONS」や「エコプロダクツ展」など、大規模なイベントの運営などが重なってきたことなどによる。
それぞれにシキタさんのエピソードは山盛りなのだけど、今夜はこのぐらいにしておこうかな。

アースデイ東京立ち上げの顛末やら、N.Y.の911を受けてスタートさせた「BE IN」のことや、世界の先住民のリーダが集まり1500食のフリーフードを準備した「WPPD」の思い出など、それぞれのエピソードを思い出すだけでもなんだか涙が出てくる。お金にならないこと、しかしどれも「素敵ないいこと」ばかりなのだ。いつもシキタさんは早すぎた。しかし、ようやく時代が追いついた。これからだ。これからと言う時に。全く。。

ところで6年前の2011年、シキタさんが還暦を迎える時に合わせて、休止していた「BeGood Cafe TOKYO」を再開させてVol1.100を行おうと言う話が盛り上がったことがある。しかし、その企画が進んでいるある日、些細なことで僕とシキタさんが喧嘩をしてしまった。30年近い付き合いの中で、意見が食い違うことはあっても、つかみ合いの喧嘩をしたのはその時一回だけだ。
震災もあり、「BeGood Cafe TOKYO」Vol.100は中止になった。その後、再び仲直りをしたのだが、「BeGood Cafe TOKYO」Vol.100が行われることはなかった。
もう喧嘩をすることもないのかと思うととてつもなく寂しい。

こうしてシキタさんとの出会いからシキタさんの関わりを思い出してみると、僕自身にとって自分自身のやるべきことに関しての整理もついた。
再び「水晶の船(The crystal ship)」を発進させよう。

最後にシキタさんの考えたBeGood Cafe TOKYOの「STATEMENT」を記しておきます。

R.I.P.

OUR STATEMENT

いま世界中で新しいライフスタイルが始まっています。
いまの経済システムでは「持続可能ではない」ことが分かったからです。
気候温暖化と環境破壊の解決、そして戦争や貧困のない世界に向かって、私達から生き方を変えていく時期の到来です。

大量消費社会から、持続可能な社会へ。

しかし、危機的問題を引き起こしている現在の仕組みに対して、NOを唱えて反対運動を続けるばかりでなく、BeGood Cafeは、環境負荷が低く、らくちんな生活術を始めてしまおうと思います。
私達自身がYESの生活を始めるのです。

NOより、YES

この考え方に基づいて、BeGood Cafe はチャレンジを続けます。
BeGood CafeがYESの人達をつなげるメディアとなるのです。
キイワードは、サステナビリティ、コミュニティ、自然食、パーマカルチャー、エコビレッジ、CSR、平和、社会貢献。
新しいライフスタイルの知恵を共有する場です。
みんなで一緒に創りましょう。
笑顔でYES
いつもスマイル!

 

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